まかたじんじゃ
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麻賀多神社ではいただけません
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麻賀多神社のお参りの記録(11回目)
投稿日:2023年09月14日(木)
参拝:2023年9月吉日
久しぶりの投稿😅
4社お参りに行って来ました😊
1社目は麻賀多神社様へ😊
おまけで下の方に載せてます。来月、麻賀多神社様を中心?に『佐倉の秋祭り』が3日間行われます😆
駅から麻賀多神社様周辺まで、路線バスの変更や交通規制がありますので行かれる方はご注意下さい。
4社お参りに行って来ました😊
1社目は麻賀多神社様へ😊
おまけで下の方に載せてます。来月、麻賀多神社様を中心?に『佐倉の秋祭り』が3日間行われます😆
駅から麻賀多神社様周辺まで、路線バスの変更や交通規制がありますので行かれる方はご注意下さい。
☆鳥居⛩️☆
☆手水舎☆
お花はありませんでした😣
お花はありませんでした😣
☆御拝殿•御本殿☆
☆御本殿☆
☆末社•疱瘡神社の御神像(少名彦命)☆
☆末社•疱瘡神社(なで恵比寿)☆
☆摂社•若宮稲荷神社(麻賀多さまの御子神)☆
☆摂社•三峯神社☆
佐倉七福神•福禄寿
令和5年 しあわせ月もうで 9月
『夜長に目映く 仰ぐ名月 月の神に抱かれ』
月の神の名は月読命(つくよみのみこと)
天照大御神と建速須佐之男命と兄弟になります。
『夜長に目映く 仰ぐ名月 月の神に抱かれ』
月の神の名は月読命(つくよみのみこと)
天照大御神と建速須佐之男命と兄弟になります。
しあわせ月もうでのスタンプカード
あと2ヶ月で満願です😆
満願になると特別御朱印をいただけます😊
あと2ヶ月で満願です😆
満願になると特別御朱印をいただけます😊
おまけ
来月、10月13〜15日に『佐倉の秋祭り』が行われます😆
来月、10月13〜15日に『佐倉の秋祭り』が行われます😆
【祭禮の歴史】
佐倉の秋祭りは古くから「麻賀多神社祭禮」が母体であり、五穀豊穣に感謝する秋祭りで、江戸時代に土井利勝が佐倉城を築くと、佐倉城大手門のすぐ近くにある麻賀多神社は佐倉藩の総鎮守となり、その神社の祭禮は歴代藩主の加護の下に発展しました。現在の社殿は天保14年に藩主堀田正睦(正篤)公の重建。老中在任中の内憂外患に立ち向かうべく一念発願されたものです。江戸時代中期頃の文献「古今佐倉真佐子」によると、今から約300年前には宮神輿の渡御の他に、「附け祭り」が行われており、多くの人々で大変賑わいました。明治時代前期になると、新町六町と弥勒町が江戸(東京府)日本橋方面から7体の人形山車を買い付け、宮神輿の渡御とあわせ、その祭禮の華やかさは「佐倉新町江戸勝り」という言葉で表された程です。その後、大正•昭和にかけて、各氏子町内も「御神酒所(おみきしょ)」と呼ばれる踊り屋台を拵え現在の祭禮の形となりました。平成5年には「佐倉の秋祭り実行委員会」が発足され「佐倉市の伝統文化の継承と発展を願うとともに、住民の交流を深め、佐倉市民の心のふるさとづくり」をテーマに活動を続け、現在は麻賀多神社以外に愛宕神社、神明神社、八幡神社の氏子町が加わり、4社合同祭の形で、10月第二の金•土•日曜日に盛大に行っております。
【麻賀多神社大神輿】
神社大神輿は、江戸時代中期、享保6年に江戸から職人を10人程呼び、8ヶ月の月日と約360両という大金を掛けて製作された豪華な大神輿。台輪巾5尺(約1メートル51センチ)の千葉県内最大級のものであり、白丁を着用した氏子の鏑木青年会により担がれます。城下町の狭い道を二天棒のみで「明神祭りさらば久しい」の掛け声のもと、各町内の万灯とともに城下町を渡御されます。
佐倉の秋祭りは古くから「麻賀多神社祭禮」が母体であり、五穀豊穣に感謝する秋祭りで、江戸時代に土井利勝が佐倉城を築くと、佐倉城大手門のすぐ近くにある麻賀多神社は佐倉藩の総鎮守となり、その神社の祭禮は歴代藩主の加護の下に発展しました。現在の社殿は天保14年に藩主堀田正睦(正篤)公の重建。老中在任中の内憂外患に立ち向かうべく一念発願されたものです。江戸時代中期頃の文献「古今佐倉真佐子」によると、今から約300年前には宮神輿の渡御の他に、「附け祭り」が行われており、多くの人々で大変賑わいました。明治時代前期になると、新町六町と弥勒町が江戸(東京府)日本橋方面から7体の人形山車を買い付け、宮神輿の渡御とあわせ、その祭禮の華やかさは「佐倉新町江戸勝り」という言葉で表された程です。その後、大正•昭和にかけて、各氏子町内も「御神酒所(おみきしょ)」と呼ばれる踊り屋台を拵え現在の祭禮の形となりました。平成5年には「佐倉の秋祭り実行委員会」が発足され「佐倉市の伝統文化の継承と発展を願うとともに、住民の交流を深め、佐倉市民の心のふるさとづくり」をテーマに活動を続け、現在は麻賀多神社以外に愛宕神社、神明神社、八幡神社の氏子町が加わり、4社合同祭の形で、10月第二の金•土•日曜日に盛大に行っております。
【麻賀多神社大神輿】
神社大神輿は、江戸時代中期、享保6年に江戸から職人を10人程呼び、8ヶ月の月日と約360両という大金を掛けて製作された豪華な大神輿。台輪巾5尺(約1メートル51センチ)の千葉県内最大級のものであり、白丁を着用した氏子の鏑木青年会により担がれます。城下町の狭い道を二天棒のみで「明神祭りさらば久しい」の掛け声のもと、各町内の万灯とともに城下町を渡御されます。
【山車人形】
明治時代に購入された山車人形は佐倉市指定文化財になっており、貴重な江戸の文化、伝統を現在も各町内によって大切に保存され、100年以上の時を越えて文化継承されています。特に江戸時代に庶民の間で流行した、能に登場するものを題材とした人形が多く、製作は、江戸~明治にかけて名工と語られてきた人形師、仲 秀英(なか しゅうえい)•原 舟月(はら しゅうげつ)•横山 朝之(よこやま ともゆき)が手掛けたものです。秋祭り当日は、おはやし館、各町内の詰所にて展示されています。
明治時代に購入された山車人形は佐倉市指定文化財になっており、貴重な江戸の文化、伝統を現在も各町内によって大切に保存され、100年以上の時を越えて文化継承されています。特に江戸時代に庶民の間で流行した、能に登場するものを題材とした人形が多く、製作は、江戸~明治にかけて名工と語られてきた人形師、仲 秀英(なか しゅうえい)•原 舟月(はら しゅうげつ)•横山 朝之(よこやま ともゆき)が手掛けたものです。秋祭り当日は、おはやし館、各町内の詰所にて展示されています。
【佐倉囃子について】
佐倉囃子は葛西囃子の流れをくんでおり、「屋台•昇殿•鎌倉•四丁目•上がり屋台」で構成された五囃子があります。
他に大拍子という締太鼓と舞が加わった「仁羽」の曲があります。「仁羽」の曲に合わせて「えっさのこらさのえっさっさ」と掛け声と共に曳き廻しが行われるのは佐倉独自の文化となっています。その他にも「屋台•昇殿•鎌倉•四丁目•あがり屋台」の五囃子なども演奏されます。佐倉囃子保存会は昭和35年に結成、昭和46年に佐倉市指定無形文化財に選定され、多くの会員を輩出しています。お囃子の技術向上、後継者の育成をおこなっています。
佐倉囃子は葛西囃子の流れをくんでおり、「屋台•昇殿•鎌倉•四丁目•上がり屋台」で構成された五囃子があります。
他に大拍子という締太鼓と舞が加わった「仁羽」の曲があります。「仁羽」の曲に合わせて「えっさのこらさのえっさっさ」と掛け声と共に曳き廻しが行われるのは佐倉独自の文化となっています。その他にも「屋台•昇殿•鎌倉•四丁目•あがり屋台」の五囃子なども演奏されます。佐倉囃子保存会は昭和35年に結成、昭和46年に佐倉市指定無形文化財に選定され、多くの会員を輩出しています。お囃子の技術向上、後継者の育成をおこなっています。
町内山車人形•御神酒所•御神輿
すてき
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