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東峰神社ではいただけません
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とうほうじんじゃ

東峰神社
千葉県 成田空港(空港第2ビル)駅

御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
あり

境内前に数台駐車可

ご利益

東峰神社について

成田空港の敷地内に取り残されたように建つ神社。
三里塚闘争の歴史を物語る。

千葉県のおすすめ🎎

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おすすめの投稿

潮来の与太郎
2020年08月21日(金)
434投稿

成田市東峰地区にある東峰神社にお詣りして来ました。

東峰神社の鳥居

成田空港の敷地内にある神社です。

東峰神社の周辺

仕事を早めに切り上げ、息栖神社の駐車場で休んでいました。

さて、今日はどうしよう。(息栖神社にお詣りしろや!)

時間に余裕があるので、成田方面の下見に行くことにしました。

小見川大橋を渡り道なりに成田方面へ。
田舎道を流していると、突如トンネルが出現します。田舎の景色に国策レベルの建造物が突然現れるのが成田のおもしろさなのですが、ここはさらに、ナビを見ると立ち入り禁止の空港敷地内に神社とそれにアクセスするだけの道路があり、しかも場所はこのようにトンネルの真上という、一体何がしたいのだろうという状態の立地の神社です。

東峰神社の周辺

案の定というか、神社へのアクセス道路は、このように工事用の遮蔽板でガードされています。

東峰神社の周辺

着きました。神社は昔ながらの佇まい、周囲は遮蔽板。落ち着くような、落ち着かないような。

東峰神社の手水

手水です。

東峰神社の本殿

本殿です。

東峰神社の建物その他

社標の裏側には航空神社とあり、さらに、それをセメントで塗りつぶしてあります。なんか複雑な事情がありそうな…。Wikipediaで検索して見るとなかなかな歴史があります。

遮蔽板は、ところどころ網目状になっており、滑走路側が見えていますが、時折、警備員さんの姿がチラチラ見え隠れしてます。Wikiによると遮蔽板は三重になっており、警備員が常駐しているようです。完全にマークされちゃってますね。

東峰神社の景色

気にせず、ジェット機の写真を撮りましょう!

にっきーさんの投稿によるとこのアングル!ちょうど、境内の後ろをジェットエンジンの出力を上げた機体が通過します。間もなくか!

脳ミソが小学生なので、気分は最高潮です。

1分経過、2分経過。携帯カメラがスリープ状態にならないように、画面をさわりつつ、シャッターチャンスを逃さないように、アングルを維持しつつ、3分経過、4分経過…。

腕がしびれ始めた頃、後ろから話し掛けられました。

「あの~」見え隠れしていた警備員の方です。

「飛行機の撮影ですか?」

「ここで撮影できるのは冬場なんですよ。夏は南風吹いてるんで、反対向きに離陸するんですよ」

つまり、何時間粘っても無駄と云うことか❗
不本意ですがこの場を去ることにしました。

東峰神社の景色

でも、諦め切れない。幹線道路を成田市街方向に向かった山の手に何か公園らしき一角が。スマホを持って撮影してる人が沢山見える。ここだ!

東峰神社の景色

見えた!風が空港側から吹いている。つまり南風か。なるほど、空母と同じ、離陸は風上に向かうのですね!納得したけど、ここから飛行機は遠ざかるように離陸していきます。スマホでは撮影できない‼️💧

東峰神社の周辺

周りを見ると、皆さんスマホ片手に撮影中です。

冬場には必ずリベンジしてやる!拳握りしめるお詣りでした。

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東峰神社の基本情報

住所千葉県千葉県成田市東峰
行き方
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千葉県のおすすめ🎎

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名称東峰神社
読み方とうほうじんじゃ
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》二宮尊徳・
創建時代昭和28年(1953年)11月23日
創始者伊藤音次郎
ご由緒

元々は、民間航空のパイオニアであった伊藤音次郎が、長男の信太郎や天才飛行士と呼ばれた山縣豊太郎をはじめとする航空黎明期の殉職者を祀るため、1937年(昭和12年)に千葉郡津田沼町(現習志野市)鷺沼の伊藤飛行機製作所の工場敷地内に建立したもので、当時の社名は「航空神社」であった。御神体は空難者8名の氏名を墨書きした木札。
日本の敗戦により航空業を追われた伊藤は、会社の従業員と共に戦後開拓による農地開発が行われていた遠山村(現・成田市)東峰地区へ入植して農場主となった。入植からしばらくして、集落内での話し合いにより、神社を建てることとなり、1953年(昭和28年)11月23日に航空神社が当地に移設遷座された。その際に新たに神奈川県の二宮神社から勤労の神とされる二宮尊徳を授かり、以来この神社の祭神としている。
その後航空神社は「東峰神社」に名前を変え、開拓集落の産土神社として東峰地区住民から信仰されるようになったが、新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設などを受け、2001年9月に伊藤音次郎の家族の要請により、再び「航空神社」として山武郡芝山町にある航空科学博物館の野外展示場へ遷座している。航空神社の御守は航空科学博物館内のミュージアム・ショップで取り扱っている。
神社は、成田国際空港B滑走路南端34R付近に位置する。東峰地区は、現在でも成田空港問題の空港反対運動の活発な地域であり、神社の敷地もB滑走路の建設予定地だった箇所にあるが、後述の紛争もあり、未買収地を避けるようにしてB滑走路を北側延伸している(2019年に改定された空港の基本計画では、神社周辺はB滑走路の予定地から外されている)現在残されている建造物としては比較的新しい石鳥居一基と石灯籠二基が配されてはいるが、1.5 m2 の小さな木造の祠があるだけで、中に御神体は無い。
神社の敷地は、滑走路や誘導路などの空港敷地に周りを取り囲まれている。神社へのアクセスは、近くの市道から分岐し、車1台が通れる幅の一本道である。神社へ続く道および境内の周囲にはアイボリーに塗装された高いスチール製の塀が2重に張り巡らされており、塀上部には有刺鉄線と共に数メートルから数十メートルおきに人感センサが設置されている。また塀内には監視小屋も設置されており、常時警備員が境内を監視している。塀には所々網目状になっている箇所があり、空港敷地側から境内が監視しやすいようになっている。また神社の敷地を取り囲むように空港内道路が敷かれており、定期的にNAAの委託を受けた警備会社の車両が巡回している。

【神社をめぐる紛争】
境内敷地は、建立時より実質的に集落住民による共有地とされてきたが、2001年に登記上の所有者から新東京国際空港公団(成田国際空港株式会社の前身)への所有権移転登記が行われた後、空港公団により航空機の飛行の障害となる境内の樹木の伐採が行われた。伐採当日は空港公団・空警機動と三里塚芝山連合空港反対同盟の間で衝突が発生し、反対同盟に逮捕者が出た。
これに反発した反対同盟が空港公団を提訴し、この裁判に対して日本の新左翼団体関係者などが積極的な支援を行い、「闘争の象徴」としたこともあり大きく知られるところとなったが、2003年に土地登記名義の回復を内容とする和解が両者間で成立した。
(Wikipediaより)

Wikipediaからの引用

概要
東峰神社(とうほうじんじゃ)は、千葉県成田市東峰にある神社。
歴史
歴史[編集] 元々は、民間航空のパイオニアであった伊藤音次郎が、長男の信太郎や天才飛行士と呼ばれた山縣豊太郎をはじめとする航空黎明期の殉職者を祀るため、1937年(昭和12年)に千葉郡津田沼町(現習志野市)鷺沼の伊藤飛行機製作所の工場敷地内に建立したもので、当時の社名は「航空神社」であった。御神体は空難者8名の氏名を墨書きした木札[1][2]。 日本の敗戦により航空業を追われた伊藤は、会社の従業員と共に戦後開拓による農地開発が行われていた遠山村(現・成田市)東峰地区へ入植して農場主となった。入植からしばらくして、集落内での話し合いにより、神社を建てることとなり、1953年(昭和28年)1...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通[編集] 千葉県道44号成田小見川鹿島港線を通って東峰地区に入ると到着する。ただし周辺に駐車場はない。 千葉交通・栗源線(多古営業所)「新田」バス停、成田市コミュニティバス津富浦ルート「東峰」バス停(いずれも同一地点)より徒歩。
引用元情報東峰神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%B1%E5%B3%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98122455

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