こみかどじんじゃ
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楽しみ方小御門神社のお参りの記録一覧(3ページ目)

藤原師賢を祀る。
藤原師賢は1331年、元弘の変で後醍醐天皇の身代わりに比叡山に登り、幕府軍を迎えうったが、破れ下総国に流され没した。
建武中興十五社のひとつに数えられる。
旧社格は別格官幣社である。











お昼頃、こちらの神社に参拝しました。
今回の参拝で、
『1月の見開き御祭神和歌』
の御朱印を頂きました。

『1月の見開き御祭神和歌』の御朱印

1月の御祭神和歌

朝、こちらの神社に参拝しました。
今回の参拝で、
『朔日まいり』
『秋季大祭』
『10月の見開き御祭神和歌』
の御朱印を頂きました。

左:『秋季大祭』の御朱印
右:『朔日まいり』の御朱印

『10月の見開き御祭神和歌』の御朱印

10月の御祭神和歌

お昼頃、こちらの神社に参拝しました。
今回の参拝で、
『9月の見開き御祭神和歌』
の御朱印を頂きました。

小御門神社の鳥居

『9月の見開き御祭神和歌』の御朱印

9月の御祭神和歌

小御門神社は、千葉県成田市にある神社。旧社格は別格官幣社、現在は神社本庁の別表神社。建武中興十五社の一社。
御祭神として後醍醐天皇の側近の花山院(藤原)師賢(もろかた)を祀る。1331年に後醍醐天皇の身代わりに比叡山で討幕の挙兵をした(元弘の変)捕えられ、翌年下総国に流され没した。建武の中興の際に太政大臣を追贈され、文貞公の諡号を受けた。明治初期の1877年に住民より師賢を祀る神社の創建運動が起き、武家から皇室への政権移行を志向した建武の新政に意義を感じた明治天皇(明治政府)が1879年に社殿創建を承認。1882年に社殿を造営、鎮座際を実施、別格官幣社に列格した。同じく明治期に創建された建武中興十五社はいずれも別格官幣社、官幣大社、官幣中社に列格しており、関東地方だと鎌倉宮(神奈川県鎌倉市)が該当する。なお、宮司さんによると、拝殿と本殿が分かれ、本殿が透塀で囲われている独特な造りは明治政府の指導によるもので、鎌倉宮と同じ造りとのこと。
当社は、JR成田線・滑河駅から南に3kmほどの場所にある。利根川南岸の高台にあって、県道79号線(横芝下総線)の沿線にある。車だと東関東自動車道・大栄ICから下道5kmほど。
参拝時は週末の午後で、ぱらぱらと御ひとり様の参拝者を見掛けた。

鳥居と社標。

綺麗に掃き清められた広い参道を進む。参道脇の木々が高い。

やがて左方向が開けて来て<祓所>が現れる。ここにはちゃんと<祓串>が置いてあって、参拝前に左右左と振るようにとの指示。

参道の突き当りにある<手水舎>。順路通りだと<祓>と<禊>の順序は、出雲大社と同じになるが正しかったのかな?

手水舎手前から参道が左に直角に曲がる。

神域前の鳥居。

鳥居をくぐって<拝殿>。

拝殿正面。拝殿は壁が四方に開いていて、奥の本殿まで見通せる。

社殿全景。拝殿と本殿が完全に離れている様式。宮司さんによると、この社殿様式は明治政府の指導によるものとのこと。

拝殿後ろの<本殿>。

瑞垣の外の本殿後ろに<奥の宮>のエリアがある。<奥の宮>は<御祭神霊廟(公家塚)>とのこと。見た感じ、木々だけのように見えるが、こちらも瑞垣で囲われている。

<奥の宮>参拝所。

奥の宮の右手にある3末社。<菅原神社>、<北辰神社>、<八幡神社>。

手水舎の裏にある<土俵>。

祓所、社務所の近くにある<水神社>。

社務所。御朱印はこちら。社務所前に見えるのは御神木。樹齢150年の栃の木。
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