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うばじんじゃ

鵜羽神社の御由緒・歴史
公式千葉県 東浪見駅

ご祭神《主》彦火火出見命,豊玉姫命,鵜茅葺不合命
創建時代806年(大同元年)
ご由緒

一宮町の玉前神社の親と言い伝えられています。
なので神社の幟旗には親と言う意味の
(玉前御祖) と書かれています。

鵜羽神社(うばじんじゃ)は、千葉県長生郡睦沢町にある神社。上総十二社、つまりいすみ・一宮地区の「上総十二社祭(上総はだか祭)」に参加する一社で、9月13日ではなく9月10日に神輿が出る。
御祭神は、鵜茅葺不合命と、その父である彦火火出見命、母である豊玉姫命を祀る。上総十二社の中心である上総国一宮・玉前神社の育ての子でかつ夫と、姉夫婦という関係になる。
『鵜羽大明神縁起』によれば、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の折、この地に滞在し、その軍が湧水で渇をしのいだとし、これ以後、岩井(祝郷)と呼ばれるようになったという。
大同元年(806年)、豊田庄の海辺で一顆の玉を得て漁屋に納めて尊崇する者があり、土人は玉依姫の神霊として右大臣百川に上申した。
同じころ、平城天皇の夢に釣ヶ岬の天孫降臨の故地に神霊を鎮めるよう神託があったので、天皇は上総介(鎌倉殿の13人、上総介広常)に命じて八神六社を祀らせた。
神霊二座をまつって玉崎の社と名付け、別に岩井の郷にも二座を鎮めて鵜羽山と呼び、他に南宮・二之宮・三之宮・玉垣の四社を玉前六社としたという。鵜羽山が当社であり、その他の社も、今はすべて上総十二社に含まれている。
上総十二社において、当社は玉前六社・山内四社という括りに含まれない二社のうちの一社(もう一社はいすみ市岬町谷上の谷上神社)でもある。
上総十二社祭は毎年9月13日に行われることで知られているが、当社の神輿渡御は唯一、それに先立つこと10日に行われる。十日祭、あるいはお迎え祭と呼ばれる。上総十二社祭の一環であり、嚆矢であって、ある意味では最重要行事か。
十日祭で当社神輿は育ての親で妻である玉前神社まで行った後、さらに一宮町の天王様・八雲神社(明治まで御祭神は牛頭天王)まで渡御し、この時、供器に牛の舌にかたどられた餅、蛇のような形の白蛇餅などが供えられる。
牛の舌餅は感冒の妙薬と言い伝えられ、参拝者間で争奪戦となったという。白蛇餅は神輿に収められて当社に戻り、御手洗の井戸に放たれる。
二柱の姫神を表すともされる大小二つの白蛇餅は、底で釣ヶ崎の海につながっていると伝えられるこの井戸から、海に帰るとされる。
さらに十日祭の2日前の9月8日には御漱祭が行われる。これは、主祭神の鵜茅葺不合命の生誕日が旧暦8月8日だと考えられたことの名残。乳の代わりに主祭神を育てたとされる甘酒が参拝者にふるまわれる。
境内社に天照大神、日吉大神、春日大神、浅間神社がある。
当社の南隣の谷は古宮と称される。口碑によれば、その地こそが当社創建当初の旧社地で、後に今の地に遷座したという。以前は古宮の西方、田圃を隔てて、岩熊通りの路傍に古松があり、里人は祓戸の松と呼んでいたという。
【ご利益】
子宝・安産・子育て

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