いいぬまやま えんぷくじ|単立(真言宗智山派)|飯沼山
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Google Mapに騙されました💦
観音駅からすぐの所に、こちらの名称等が載っていて行ったけど、五重塔も仁王門も大仏もない😱
地図を見直すとさらに進むと同じ圓福寺がある。
もしやと思い行ってみるとこちらにありました。
こちら圓福寺様は2箇所に分かれていて(観音堂は圓福寺の本堂で、昔は境内地であったが、太平洋戦争の後、本堂と本坊が離れた)観音駅に近い方が『本坊·大師堂エリア』でこちらが『本堂·飯沼観音エリア』になります。
【圓福寺】
『飯沼山観世音縁起絵巻』などによると、神亀五年(728年)の春、銚子の浦が荒れて漁ができなくなり五月に皷が淵の沖の海上が光り輝いたある夜、漁師の清六が、「輝いているところで牛堀の漁師長蔵とともに漁をせよ」との霊夢を見た。翌朝、沖に出ると同じ霊夢を見た長蔵が対岸から来たので、二人で網をおろしたところ、左の脇に瑪瑙(めのう)をはさんだ十一面観音が出現した。二人は出家して草庵を結び尊像を安置加持して諸人の病を癒したので、虐除(ぎゃくよけ)法師と呼ばれたと伝えられる。
天平年間(729年~749年)になり、行基菩薩がこの奇瑞を耳にして、厨子を作って奉納した。しかし尊像のほうが少し大きくて入らなかったので、行基が祈願すると、尊像は首をたれて、みずから厨子に入ったという。
後に、弘法大師が東国を巡錫した弘仁年間(810年~824年)、この尊像を拝したが、海中出現のままの姿だったので、台座や光背を作り、開眼供養をおこなった。そして、下総国の守護千葉氏の系統を引く海上長者が、尊像と大師に帰依して、壮大な伽藍を天生六年(1578年)建立したとされる。
その後、安永二年(1773年)に10間四方の銅葺に改築され仁王門·鐘楼堂·多宝塔·大師堂など大小さまざまな建物が整備され、戦前まで豪壮な姿を見せていたが、太平洋戦争で堂宇は焼失した。





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