かねがさくくまのじんじゃ
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菊田神社様から初参拝。金ヶ作熊野神社様へお参りに行きました😊
こちらは『新京成•寺社巡りスタンプラリー』の参加神社様になります😆
駅から近いので周辺はビルやマンション住宅などがあり、歩道の所に鳥居があって少し進むと木々に囲まれた参道へ…周辺とまるで違う雰囲気に別世界に行っていたような感じでした
【由緒】
天明2年(1782年)の頃より「天明の大飢饉」と呼ばれる飢饉が始まっていた為、武州入間郡下赤坂村(現在の埼玉県川越市)の名主であった石川家五代目の石川彦次右衛門が、金ヶ作村の新田開発と入植を計画し、40余人を引き連れこの地に入植した。
天明3年(1783年、江戸第10代将軍 徳川家治の時代)、浅間山が大噴火を起こし金ヶ作の田畑も甚大な被害を被った。そのため、石川彦次右衛門が神社敷地として、1409坪を寄進して紀州和歌山の「熊野本宮大社」より御魂を拝受(分配)し、金ヶ作の鎮守として当金ヶ作熊野神社を創建するに至った。
現在の常盤平地区の殆どは金ヶ作の一部だった。そのため当社は、常盤平地区の鎮守でもある。
当初は、木造茅葺平屋だったが、明治28年(1895年)に社殿の建て替えが行われた。旧社殿は現在も現社殿の隣に保存されている。
現在の社殿は平成7年(1995年)に建て替えられたもので3代目となる。
ー金ヶ作熊野神社リーフレットーより

授与品
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金ヶ作は元武州川越藩郷士石川家五代目石川彦次右ェ門氏が、当地の新田開発を計画されて天明二年(1782年)元締として九家を引き連れて此の地に入植し、一家当り五丁歩を与いて開拓され、翌年七月六日の浅間山の大噴火により大量の火山灰の降灰により、田畠が大被害を蒙り急遽、氏神様を祭神するに当り、石川彦次右ェ門氏が神社敷地として、1,409.83坪寄進されて、紀州和歌山の熊野本宮より御魂を拝受、其の名も熊野神社と称して祭神されました。
当所は木造平家茅葺でしたが、明治二十八年に建替されて百余年経過し老朽化した為、平成七年二月五日臨時総会を開催、氏子一同のご賛同により、同年四月着工し、同年十月完成されました。
金ヶ作熊野神社の情報
| 住所 | 千葉県松戸市金ヶ作361 |
|---|---|
| 行き方 | 新京成線常盤平駅北口下車 徒歩5分 |
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金ヶ作熊野神社の基本情報
| 名称 | 金ヶ作熊野神社 |
|---|---|
| 読み方 | かねがさくくまのじんじゃ |
| 参拝にかかる時間 | 20分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 047-386-7049 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| メールアドレス | info@kumano.in |
| ホームページ | http://kumano.in/top.htm |
| 絵馬 | あり |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》伊邪那美命・日本武命 |
|---|---|
| 創建時代 | 天明三年(1783) |
| ご由緒 | 金ヶ作は元武州川越藩郷士石川家五代目石川彦次右ェ門氏が、当地の新田開発を計画されて天明二年(1782年)元締として九家を引き連れて此の地に入植し、一家当り五丁歩を与いて開拓され、翌年七月六日の浅間山の大噴火により大量の火山灰の降灰により、田畠が大被害を蒙り急遽、氏神様を祭神するに当り、石川彦次右ェ門氏が神社敷地として、1,409.83坪寄進されて、紀州和歌山の熊野本宮より御魂を拝受、其の名も熊野神社と称して祭神されました。
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