しまあなじんじゃ
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千葉県のおすすめ3選❄️
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久々に妻と息子を連れて散歩として房総三國御朱印巡りの対象神社に!
本日は島穴神社に行きました。
こちらの神社は御朱印をいただくのに予約が必要で、まずはお電話して日程調整
神社から車で5〜6分の距離にある宮司さんのお宅にまずは来るようにとの事。
住所を伺い向かうと宮司の宅と通りに看板が出ていました。インターホンを押して宮司さん?奥様の巫女さん?かは分かりませんが上品で神秘的なお婆様から島穴神社までの地図を入手。
しかし地図は大雑把な感じでお婆様が親切丁寧に口頭で説明していただきました。
御朱印と神棚の崇敬用に島穴神社様のご神札もこちらでいただきました。
説明を聞いていてもたどり着くのは大変でした、徒歩ならもう少し簡単かなと。
ここから先は多くは書きませんが、たどり着いた島穴神社様はかなり神秘的な聖域でした!
細かい伝承や本殿装飾の裏話など宮司さん宅で冊子付きで伺えますので是非足をお運び下さい。



島穴神社を参拝しました。
房總三國神社御朱印巡りで、ちょうど1年前に参拝したのですが、その際ちょっとしたアクシデントがあり、宮司さまのお宅に寄って、改めて参拝・御朱印授与の印を頂いてから、参拝しました。
1度目の参拝では詳しく見れなかったところも、宮司さまの奥さまに色々教えていただいたおかげで確かめることができました。式内社であること、御由緒を読ませていただくと、千葉県の中でもかなり格式高い神社であると思います。
前回の参拝で撮影しなかった箇所を載せます。

松平定信奉納の扁額

龍の彫刻が見事! 子供の龍もいるようです。

本殿。こちらにも精巧な彫刻が。

房總三國神社御朱印めぐり、島穴神社を参拝しました。
大宮神社の駐車場で、次どこへ向かうか考えて(行き当たりばったりです)、島穴神社を参拝することに。
房總三國〜の神社案内帳には、参拝前に宮司宅にお電話、とのこと。連絡すると、女性が出て住所を教えていただいたのでその場でカーナビに入力、道路に「島穴神社宮司自宅」と看板も出ていたので迷わず行けました。
玄関に入ると高齢の男性(宮司様?)が立っていて、「先ほど電話差し上げた者です」と伝えると、「はいはいはいはい」と言いながら御朱印帳と連絡帳を受け取り、部屋に入られて浄書されお返しいただきました。
ご自宅を出てから島穴神社へ向かったのですが、Googleマップが出してきたルートが、うちの車では到底無理な道で、夫が何度か道を変えてようやく到着。
苦労して到着した島穴神社、でもすごく素敵な神社でした。参拝の機会を与えていただいた房總三國神社御朱印めぐり、という企画に改めて感謝です。
帰り道、車の中から一の鳥居も撮影できました。
ただ、島穴神社を出てから車の中で連絡帳を見てみると、集印記録の島穴神社のところに印鑑がない! どうしよう、また宮司さんの自宅に行く?と思って島穴神社のページを見たら、そこに印と日付がありました。ま、いっか😆

お書き入れで拝受しました。

手前に橋もあり、雰囲気良いです。





車の中から鳥居の裏側を撮影。

同じく車の中から鳥居を撮影。

ここじゃないです😭
歴史
『古事記』・『日本書紀』では、景行天皇(第12代)40年の日本武尊が東征の際、走水の海(浦賀水道)で暴風雨に遭ったが妃の弟橘姫の犠牲によって上総に上陸することができたとする記事が見える。社伝ではその時のこととして、弟橘姫が大和国の龍田大社の神に、無事に上総まで航行させてくれるのなら風鎮めの神を祀ると祈ったので、日本武尊は弟橘姫命の遺志に従いこの地に志那都比古尊を祀ったとする。
また社伝では、日本武尊の死後の景行天皇57年[1]、日本武尊の父の景行天皇は日本武尊東征の縁の地を歴訪し、当社に日本武尊命・倭比売尊の神霊を合祀したとする。ウィキペディア(Wikipedia)より転載
島穴神社の基本情報
| 住所 | 千葉県市原市島野1129,1130 |
|---|---|
| 行き方 | JR内房線 五井駅下車、西口より小湊バス・姉ヶ崎行きにて10分乗車、前川橋バス停下車徒歩3分 |
千葉県のおすすめ3選❄️
| 名称 | 島穴神社 |
|---|---|
| 読み方 | しまあなじんじゃ |
| 通称 | 島穴様 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0436-21-2522 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》志那都比古尊,倭比売尊,《配》日本武尊 |
|---|---|
| 創建時代 | (伝)第12代景行天皇40年 |
| 本殿 | 流造り |
| ご由緒 | 『古事記』・『日本書紀』では、景行天皇(第12代)40年の日本武尊が東征の際、走水の海(浦賀水道)で暴風雨に遭ったが妃の弟橘姫の犠牲によって上総に上陸することができたとする記事が見える。社伝ではその時のこととして、弟橘姫が大和国の龍田大社の神に、無事に上総まで航行させてくれるのなら風鎮めの神を祀ると祈ったので、日本武尊は弟橘姫命の遺志に従いこの地に志那都比古尊を祀ったとする。
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| 体験 | 絵馬御朱印 |
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