とうだいじまいなりじんじゃ
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楽しみ方当代島稲荷神社の御由緒・歴史
| ご祭神 | 《主》豊受大神・應神天皇・春日大神 | |
|---|---|---|
| 創建時代 | 元禄二年(1689) | |
| ご由緒 | 元禄二年(1689年)の創建。それ以前には当代島で元村長の高梨氏所有の屋敷神の稲荷さまを氏神としていた。元禄二年(1689年)に(武蔵國小岩村、現在の東京都江戸川区小岩町)の善養寺から移し祀ったものといわれている。明治五年の神社法によって正式な当代島の鎮守とされ、無格社に規定された。また、社殿が損傷した為、明治四年四月に改築、明治四十一年に再建した。昭和二十年に米軍の爆撃に遭い、昭和三十四年に再建され、その後腐朽が甚だしく、再び昭和五十八年に改築工事を行う。 |
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歴史
【大鯨の石祠(稲荷神社境内)】
大鯨の御社は、碑の左側面に高梨源八•西脇清吉の名が刻まれており明治8年、当時は現在の船入緑道には船入川が流れていて多くの木造漁船がつながれ、桟橋近くは漁民の社交場ともなっていた。
船入川より江戸川にでて引き潮を利用して櫓を漕いで河口へ当時は水門や護岸提もなく、岸辺に葦が生い茂り春ともなるとヨシキリが啼き、鴎が飛び交い漁師は追い風があれば帆を張って川の流れにゆだねて海へ、貝や魚を採って日々の暮らしの糧を稼ぎながら生活を送っていた。
漁をしようといつものように日の出前に当代島の高梨源八•西脇清吉の両氏は船に立って漁場の三枚洲に近づいていくと、洲の上に大きな黒い大きな魚が暴れているのを見つけて近寄っていくと、うわさが絶えなかった大鯨が浅瀬の汐溜まりに取り残されている。
両氏は大格斗の末に大鯨を捕ることに成功し、意気揚々と当代島へと戻った。
両氏が帰還すると村中が知らせを聞いて大騒ぎとなり、老若男女がこぞって見物に来たそうです。
この大鯨は当時の価格で金弐百円もの高値で売れ、大金を手にした両氏はすっかり有名人になり、どこへ行っても英雄扱いされたそうです。両氏は大鯨捕獲劇のことで仕事も手につかなくなり、このことに終止符を打つために考えた末に年配者の知恵から稲荷神社に大鯨の碑を奉納し、祀ったとのことです。これが大鯨の碑建立の経緯であります。

歴史
鯨を祀っているようです。
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