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しもうさのくにみやま にのみやじんじゃ

下総国三山 二宮神社の御由緒・歴史
公式千葉県 薬園台駅

ご祭神《主》速須佐之男命,《配》稲田比売命,大国主命,藤原時平,大雀命,誉田別命
ご由緒

当社の創立は、弘仁年間(810年〜823年)で、嵯峨天皇の御勅創によるものであると伝えられています。また、延喜5年(905年)に編纂された「延喜式」の「神名帳」にある「千葉郡二座(並小)」の一座である「寒川神社」であったといわれています。 この「寒川」とは、「清冷な泉流」「聖なる流れ」を意味します。
 
 二宮神社の参道の御手洗(みたらし)の池や井戸のある所は、はるか遠い昔より滾々(こんこん)と泉の湧く水源地でした。 つまり、この水源地たる場所こそ、正に「寒川神社」の社名の由来ともなった聖地であり、二宮神社の信仰の起源、原点といえます。 したがって昨今「パワースポット」という言葉が流行っておりますが、この霊泉のある地は、境内の中でも最大の「神威充ちる聖なる所(パワースポット)」であります。
 
こうして古来、近郷23ヶ村の総鎮守として広く人々の信仰をあつめてきました。二宮神社と呼ばれるようになった正確な年代はわかっていませんが、乾元2年(1302年)の鐘には「二宮社」と刻まれていることから、鎌倉時代には既に呼称されていたことがわかっています。

歴史
歴史[編集] 社伝によれば、弘仁年間(810年~824年)、嵯峨天皇の勅命により創建されたという[1]。地名同様「三山」の名は古くは「御山」と見え、当社に起因する。三山氏が先祖代々神官を務めた[2]。 平安時代中期の『延喜式』神名帳には「下総国千葉郡 寒川神社」の記載があるが、当社はその論社とされている。また、下総国の二宮として朝廷からの崇敬をうけたという(ただし旭市の玉崎神社も二宮を称する)。二宮神社と呼ばれ始めた時期は不明であるが、乾元2年(1303年)銘の梵鐘(成田市祥鳳院蔵)に「総州二宮社壇」とあることから鎌倉時代にはすでにこの呼称があったとうかがえる。 天正19年(1591年)...Wikipediaで続きを読む
引用元情報二宮神社 (船橋市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E8%88%B9%E6%A9%8B%E5%B8%82%29&oldid=102282963

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