そがひめじんじゃ
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楽しみ方蘇我比咩神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年07月05日(土) 19時34分12秒
参拝:2025年6月吉日
下総国千葉郡の式内社になります。
昨年、神奈川県横須賀市に鎮座する走水神社の参拝をきっかけに当社を知り、上がらせていただきました。
蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、中世には春日信仰が中心となり春日大明神と称していたといいます。
ご由緒によると、景行天皇の御宇、日本武尊は御東征のおり相模灘で暴風雨に阻まれ立往生してしまいました。龍神の怒りを鎮めるために妃の弟橘媛はその身を海中に投じましたが、その時同伴の五人の姫も一緒にその身を投じたといいます。
その五人の姫の一人は蘇我大臣の娘で、この地の海岸に打ち上げられ、里人の手厚い看護で蘇生され無事に都へ帰ることができたといいます。また里人は、日本武尊が東征の途中にて崩ぜられたことを知ると慰霊の社を建立しました。
この里人の行為に感激した第15代応神天皇は、特別の命により蘇我一族をこの周辺の国造として派遣しました。蘇我一族は代々春日神社、比咩神社を守護神としており、両社の御分霊をいただき「蘇賀比咩神社」を建立されたといいます。
また千葉県神社名鑑には別の伝承として、里人の介抱により蘇生されたのは弟橘媛のことで、媛が『我れ蘇り』と宣り給わったことからこの地を『蘇我』と称した、とありました。
昨年、神奈川県横須賀市に鎮座する走水神社の参拝をきっかけに当社を知り、上がらせていただきました。
蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、中世には春日信仰が中心となり春日大明神と称していたといいます。
ご由緒によると、景行天皇の御宇、日本武尊は御東征のおり相模灘で暴風雨に阻まれ立往生してしまいました。龍神の怒りを鎮めるために妃の弟橘媛はその身を海中に投じましたが、その時同伴の五人の姫も一緒にその身を投じたといいます。
その五人の姫の一人は蘇我大臣の娘で、この地の海岸に打ち上げられ、里人の手厚い看護で蘇生され無事に都へ帰ることができたといいます。また里人は、日本武尊が東征の途中にて崩ぜられたことを知ると慰霊の社を建立しました。
この里人の行為に感激した第15代応神天皇は、特別の命により蘇我一族をこの周辺の国造として派遣しました。蘇我一族は代々春日神社、比咩神社を守護神としており、両社の御分霊をいただき「蘇賀比咩神社」を建立されたといいます。
また千葉県神社名鑑には別の伝承として、里人の介抱により蘇生されたのは弟橘媛のことで、媛が『我れ蘇り』と宣り給わったことからこの地を『蘇我』と称した、とありました。








『八大龍王社』

『天照八幡宮』


猫様がいました🐈⬛

『大三輪神社・大山阿夫利神社』
こちらの狛犬さんは大東亜戦争で爆撃を受け、顔を破損されています😢
こちらの狛犬さんは大東亜戦争で爆撃を受け、顔を破損されています😢

『浅間大神』

『忠魂碑』

『馬頭観世音・手置帆負命の石碑』
手置帆負命は讃岐忌部の祖神です。
手置帆負命は讃岐忌部の祖神です。

玉垣の外から撮影。

よく見たらあんなところに!どこから登ったんだろ?

猫様たちがお見送りしてくれました🥰
ありがとね〜👋
ありがとね〜👋



ご由緒

『三峯神社』
蘇我比咩神社のすぐ横の自治会館にご鎮座されていますが、かつてはここも神社の神域だったようです。御朱印をいただいた時に詳しい事聞いておけばよかった💦
蘇我比咩神社のすぐ横の自治会館にご鎮座されていますが、かつてはここも神社の神域だったようです。御朱印をいただいた時に詳しい事聞いておけばよかった💦


立派な御神木でした✨
すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく812投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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