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蘇我比咩神社ではいただけません
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そがひめじんじゃ

蘇我比咩神社
千葉県 蘇我駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

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惣一郎
2021年05月27日(木)
1269投稿

蘇我比咩神社(そがひめ~)は、千葉県千葉市中央区にある神社。式内社で、旧社格は郷社。蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神・春日神(経津主神・武甕槌神・天児屋根神・天児屋根比売神)・八幡神(応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀。中世には春日神が信仰の中心で「春日大明神」と称された。

社伝によると、1500年前に創建。第12代景行天皇の皇子であった日本武尊が東征の勅命を受け、妃の弟橘姫らを連れ軍船で千葉沖に差し掛かったとき嵐に遭い、「龍神の怒り」を鎮めるために弟橘姫は5人の姫たちとともに海中に身を投じたところ、嵐は鎮まり日本武尊は無事航海を続けた。その海中に身を投じた姫の一人、蘇我大臣の娘が浜に打ち上げられ、里人の看護で蘇生し、無事都に帰ったが、そののち里人が東征途中で崩御した日本武尊を神として祀り社を建てた話を聞いた第15代応神天皇は感激し、蘇我一族を当地に派遣して国造とした。蘇我一族は代々「春日神社」と「比咩神社」を守護神としていたため、その両分霊を受け当社「蘇賀比咩神社」を建立した。
平安時代927年の延喜式神名帳では「下総国千葉郡 蘇賀比咩神社 小」と記載されている。江戸時代には、徳川家康が社領10石を寄進した。

当社は、JR京葉線・内房線・外房線・蘇我駅の南1kmの住宅街の中にある。近くにはフクダ電子アリーナのある千葉市蘇我スポーツ公園がある。境内は狭い道に囲まれ、周囲はすべて宅地化されており、旧郷社にしては狭く、旧村社クラスの広さ。雰囲気も<ザ・村の鎮守>といった感じだが、ちゃんと宮司さん常駐。

下総国の式内社として参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分以外に参拝者はいなかった。

蘇我比咩神社の鳥居

境内入口の<鳥居>。社号標はない。

蘇我比咩神社の手水

参道右手の<手水舎>。屋根の下の彫刻がきれい。

蘇我比咩神社の建物その他

参道進んで、神域の入口。

蘇我比咩神社の狛犬

神域に入ったところに立つ<狛犬>。けっこう年季が入っている。

蘇我比咩神社の建物その他

参道左手にある<古神納所>。 ん?<古札納所>のことかな?

蘇我比咩神社の末社

参道左手にある<大三輪神社・大山阿夫利神社>。ちゃんと手水・狛犬付き。手前左側の巨木が魅力的。

蘇我比咩神社の建物その他

参道右手にある<忠魂碑>。ちゃんと石灯籠付き。

蘇我比咩神社の末社

参道右手にある<浅間大神>。

蘇我比咩神社の本殿

いよいよ<拝殿>全景。神明造。手前の巨木が良い感じ。

蘇我比咩神社の本殿

拝殿正面。

蘇我比咩神社の本殿

拝殿正面の<扁額>。

蘇我比咩神社の本殿

社殿側面。拝殿と本殿(覆殿?)が揃っていて、割と新しそう。

蘇我比咩神社の建物その他

拝殿から振り返って、境内全景。大きな木だけ残してすっきりしている。

蘇我比咩神社の建物その他

境内東側にある<授与所>。御朱印はこちら。

蘇我比咩神社の本殿

授与所から拝殿を望む。手前右側は、御神木のイチョウの木。

蘇我比咩神社の本殿

最後にもう一度、拝殿全景。

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蘇我比咩神社の基本情報

住所千葉県千葉市中央区蘇我2-2-7
行き方

蘇我駅より徒歩15分

アクセスを詳しく見る
名称蘇我比咩神社
読み方そがひめじんじゃ
通称春日大明神
参拝にかかる時間

10分

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号043-261-3450
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主》蘇我比咩大神,千代春稲荷大神,《配》天照皇大神,経津主神,武甕槌神,天児屋根神,天児屋根比売神,応神天皇,比咩大神,神功皇后

Wikipediaからの引用

概要
蘇我比咩神社(そがひめじんじゃ)は、千葉県千葉市中央区にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。 蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神・春日神(経津主神・武甕槌神・天児屋根神・天児屋根比売神)・八幡神(応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀する。中世には春日神が信仰の中心となっており、春日大明神と称していた。
歴史
歴史[編集] 創建の年代は不詳である。紀記神話によれば、日本武尊の東征の際、相模から総国に渡ろうとしたとき暴風雨に遭い、それを鎮めるために日本武尊の后の弟橘姫が入水した。社伝によれば、そのとき弟橘姫に付き従ってきた5人の女性も一緒に水に入ったが、そのうちの一人、蘇我大臣の娘の蘇我比咩だけは浜に打ち上げられ、里人の看護により蘇生し、都に帰った。後に里人は、日本武尊が帰途に亡くなったことを聞き、その霊を慰めるために社を建てて祀った。応神天皇はその行為に感激し、蘇我一族をこの周辺の国造として派遣した。蘇我氏は春日大社と比咩神社を信仰しており、両社を勧請して蘇我比咩神社を創建したという。 ただし...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通[編集] JR蘇我駅下車
引用元情報蘇我比咩神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%98%87%E6%88%91%E6%AF%94%E5%92%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=90836325

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