そがひめじんじゃ
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蘇我比咩神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月27日(木)
参拝:2020年5月吉日
蘇我比咩神社(そがひめ~)は、千葉県千葉市中央区にある神社。式内社で、旧社格は郷社。蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神・春日神(経津主神・武甕槌神・天児屋根神・天児屋根比売神)・八幡神(応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀。中世には春日神が信仰の中心で「春日大明神」と称された。
社伝によると、1500年前に創建。第12代景行天皇の皇子であった日本武尊が東征の勅命を受け、妃の弟橘姫らを連れ軍船で千葉沖に差し掛かったとき嵐に遭い、「龍神の怒り」を鎮めるために弟橘姫は5人の姫たちとともに海中に身を投じたところ、嵐は鎮まり日本武尊は無事航海を続けた。その海中に身を投じた姫の一人、蘇我大臣の娘が浜に打ち上げられ、里人の看護で蘇生し、無事都に帰ったが、そののち里人が東征途中で崩御した日本武尊を神として祀り社を建てた話を聞いた第15代応神天皇は感激し、蘇我一族を当地に派遣して国造とした。蘇我一族は代々「春日神社」と「比咩神社」を守護神としていたため、その両分霊を受け当社「蘇賀比咩神社」を建立した。
平安時代927年の延喜式神名帳では「下総国千葉郡 蘇賀比咩神社 小」と記載されている。江戸時代には、徳川家康が社領10石を寄進した。
当社は、JR京葉線・内房線・外房線・蘇我駅の南1kmの住宅街の中にある。近くにはフクダ電子アリーナのある千葉市蘇我スポーツ公園がある。境内は狭い道に囲まれ、周囲はすべて宅地化されており、旧郷社にしては狭く、旧村社クラスの広さ。雰囲気も<ザ・村の鎮守>といった感じだが、ちゃんと宮司さん常駐。
下総国の式内社として参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分以外に参拝者はいなかった。
社伝によると、1500年前に創建。第12代景行天皇の皇子であった日本武尊が東征の勅命を受け、妃の弟橘姫らを連れ軍船で千葉沖に差し掛かったとき嵐に遭い、「龍神の怒り」を鎮めるために弟橘姫は5人の姫たちとともに海中に身を投じたところ、嵐は鎮まり日本武尊は無事航海を続けた。その海中に身を投じた姫の一人、蘇我大臣の娘が浜に打ち上げられ、里人の看護で蘇生し、無事都に帰ったが、そののち里人が東征途中で崩御した日本武尊を神として祀り社を建てた話を聞いた第15代応神天皇は感激し、蘇我一族を当地に派遣して国造とした。蘇我一族は代々「春日神社」と「比咩神社」を守護神としていたため、その両分霊を受け当社「蘇賀比咩神社」を建立した。
平安時代927年の延喜式神名帳では「下総国千葉郡 蘇賀比咩神社 小」と記載されている。江戸時代には、徳川家康が社領10石を寄進した。
当社は、JR京葉線・内房線・外房線・蘇我駅の南1kmの住宅街の中にある。近くにはフクダ電子アリーナのある千葉市蘇我スポーツ公園がある。境内は狭い道に囲まれ、周囲はすべて宅地化されており、旧郷社にしては狭く、旧村社クラスの広さ。雰囲気も<ザ・村の鎮守>といった感じだが、ちゃんと宮司さん常駐。
下総国の式内社として参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分以外に参拝者はいなかった。
境内入口の<鳥居>。社号標はない。
参道右手の<手水舎>。屋根の下の彫刻がきれい。
参道進んで、神域の入口。
神域に入ったところに立つ<狛犬>。けっこう年季が入っている。
参道左手にある<古神納所>。 ん?<古札納所>のことかな?
参道左手にある<大三輪神社・大山阿夫利神社>。ちゃんと手水・狛犬付き。手前左側の巨木が魅力的。
参道右手にある<忠魂碑>。ちゃんと石灯籠付き。
参道右手にある<浅間大神>。
いよいよ<拝殿>全景。神明造。手前の巨木が良い感じ。
拝殿正面。
拝殿正面の<扁額>。
社殿側面。拝殿と本殿(覆殿?)が揃っていて、割と新しそう。
拝殿から振り返って、境内全景。大きな木だけ残してすっきりしている。
境内東側にある<授与所>。御朱印はこちら。
授与所から拝殿を望む。手前右側は、御神木のイチョウの木。
最後にもう一度、拝殿全景。
すてき
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惣一郎1269投稿
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