とわたりじんじゃ
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楽しみ方登渡神社のお参りの記録一覧

千葉市中央区登戸に鎮座する「登渡神社」は千葉氏ゆかりの妙見社のひとつになります。
正保元年(1644)に千葉家の末孫である登戸権介平定胤が先祖を供養するため、千葉妙見寺(千葉神社)の末寺、通称「登戸妙見寺」として妙見大菩薩を奉斎し、僧定弁に守護させたのが始まりと伝えられています。
その後、慶応3年(1867)社号を登渡神社と改めご祭神を天之御中主神以下の造化三神に定めました。さらに明治41年、登戸字鷲塚に鎮座する鷲神社(祭神:天日鷲神)を合祀し、現在に至ります。
西千葉総鎮守と称えられ広く人々から崇敬されています。
もともとお寺だったということで、境内に大師堂があるなど神仏習合の名残が強く残っていました。
余談ですが、神奈川県川崎市には登戸(のぼりと)って地名があるんですけど、当社の鎮座地を地図で見て、千葉にも登戸って地名があるんだー!と思ったら、登戸(のぶと)って読むと知ってビックリ😲
以前寒川さんを調べてた時も地域によって、さむかわ、さんがわ、さがわ、そうがわ、かながわ…って読み方いろいろ違ったんですよね😵💫
日本語ってムズカシイ😂











浅間神社(木花咲耶姫命)



駐車場に石仏がたくさんありました。


『大師堂』



神輿庫

御神木


神楽殿

末社
八坂神社、金刀比羅神社、天神社、阿夫利社、古峯社、痘神社、狭長田社

七福神…あれ?9柱いる?と思ったら大黒様と恵比寿様が2柱いた🤣

浅間大神


水神社(大綿津見神)

中央には船中安全。昔は海が近かったそうです。
右側は弁財天。

稲荷神社(宇迦之御魂神)



神社らしい神社と思ったが元はお寺。
一言で神仏分離、廃仏毀釈と言う以上に当事者にしてみれば、青天の霹靂だっただろう…
お寺には習合の名残りが今だに色濃くあって、考えてしまう事があった…
政治、世情に振り回されるのはいつの世も同じ…
情報を持たずに上がったが、境内の居心地も良くこの空氣が永く残って欲しいと切に思った素敵なお社…🙏

社号標

⛩️入る前からいい氣…

御由緒 元はお寺、妙見菩薩を祀る

参道

手水舎手前のお稲荷様

拝殿

水神社

社殿右手、御神水

御神水手前 浅間神社

御本殿扁額 天御中主尊

拝受扁額

拝殿内

社殿西側末社

御神木

千葉神社巡り②西千葉の総鎮守で千葉市の末裔が千葉妙見寺(千葉神社)の末寺として白蛇山真光院、通称登戸妙見寺として創建されたものです。現在の御祭神の造化三神は明治の廃部廃仏毀釈により、神社に改められたときの祀られたものです。又もう1柱の天日鷲神は付近の鷲神社を合祀したものです。葛飾北斎の富岳三十六「登戸の浦」に描かれていますが、現在は海も富士も見えません。

社号標

文政十三年(1830)奉納の灯籠




参道


北参道入口

宝暦四年(1754)奉納の灯籠


寄付社板碑

庚申塔と青面金剛像

文政十年(1827)の子安塔・青面金剛の庚申塔

元文二年(1737)の馬頭観音像・明和六年(1769)の大日如来像

明和六年(1769)の大日如来像




左、文化十二年の文字が見えます

太子堂

境内社 浅間神社



御神水


灯籠

宝暦九年(1759)奉納の狛犬


拝殿

扁額

嘉永三年(1850)建造の本殿



御神木

神楽殿

境内社 八坂神社・金刀比羅神社・天神社・阿夫利社・古峯社・痘神社・狭長田社


境内社 水神社

手水舎

手水鉢


境内社鳥居

境内社


水神社神輿太鼓献納記念日

登渡神社(とわたりじんじゃ)
御祭神 天御中主命
高皇産霊命 神皇産霊命









手水舎

手水舎

稲荷神社

稲荷神社


神楽殿

摂社

拝殿

拝殿


水神社


ご神木

新千葉駅から少し歩いたところにあります。境内はしんと静かでした。
社殿右奥に飲水可能な御神水がありました。特に癖はなかったです。

社殿

社殿(奥側)

手水舎

末社下の七福神

御神木

入口すぐの石碑

御神水(飲水可)
千葉県のおすすめ3選❄️
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