せんようじ(ちばでら)
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千葉寺ではいただけません
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千葉寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月27日(木)
参拝:2020年5月吉日
千葉寺(せんようじ)は、千葉県千葉市中央区にある真言宗豊山派の寺院。山号は海上山。本尊は十一面観世音菩薩。坂東三十三所29番札所。関東八十八箇所47番札所。通称「ちばでら」
寺伝によると、奈良時代前の709年に僧・行基による創建。当地を訪れた行基が、池で千葉の青蓮が1本の茎に2つの花を咲かせているのを見て瑞兆を感じ観音像を刻んだのが始まりとされる。
中世には、地元豪族・千葉氏の祈願所として繁栄したが、千葉氏の滅亡ともに衰退。江戸時代には徳川幕府の庇護で再興した。
当寺は、JR内房線・外房線・本千葉駅の南東1kmの高台の市街地の中にある。大網街道という大き目の道に面していて、境内はけっこう広く、観光バスが数台停まれる駐車場まで完備。北側には広い墓地エリアがある。また境内の西側はその大部分が植物園のごとく柵が立ちその中に植物が植わっている。
坂東三十三所にも選ばれた古刹として参拝することに。参拝時は平日の午後、地元民風のご老人や子供は何人かいたが、遠方からの参拝者らしい人はいなかった。
寺伝によると、奈良時代前の709年に僧・行基による創建。当地を訪れた行基が、池で千葉の青蓮が1本の茎に2つの花を咲かせているのを見て瑞兆を感じ観音像を刻んだのが始まりとされる。
中世には、地元豪族・千葉氏の祈願所として繁栄したが、千葉氏の滅亡ともに衰退。江戸時代には徳川幕府の庇護で再興した。
当寺は、JR内房線・外房線・本千葉駅の南東1kmの高台の市街地の中にある。大網街道という大き目の道に面していて、境内はけっこう広く、観光バスが数台停まれる駐車場まで完備。北側には広い墓地エリアがある。また境内の西側はその大部分が植物園のごとく柵が立ちその中に植物が植わっている。
坂東三十三所にも選ばれた古刹として参拝することに。参拝時は平日の午後、地元民風のご老人や子供は何人かいたが、遠方からの参拝者らしい人はいなかった。
境内南側の境内入口に建つ、大きく力強い<仁王門>。江戸時代末期の1841年再建。現在の当寺で最古の建物。
境内は全体が一段高くなっている。南側の道・大網街道は交通量が多い。
境内は全体が一段高くなっている。南側の道・大網街道は交通量が多い。
仁王門の右側に立つ<阿形仁王像>。
仁王門の左側に立つ<吽形仁王像>。
仁王門をくぐる。
仁王門をくぐった場所からの眺め。緑が多く、大きな本堂の手前に、それを完全に覆い隠すかのような大木が立っている。
参道を進んで、<本堂>全景。サイズがかなり大きい。新しそうでコンクリ造りか。塗装も塗りたてのように赤色がビビッド。
元の本堂(観音堂)は江戸時代末期の1828年再建のものであったが、先の大戦の米軍空襲により焼失、1976年に再建された。
元の本堂(観音堂)は江戸時代末期の1828年再建のものであったが、先の大戦の米軍空襲により焼失、1976年に再建された。
参道右手の<水屋>は、ただいま絶賛修繕中。
本堂正面。
本堂から振り返って境内を望む。巨木は<公孫樹(イチョウ)>で、当寺の創建時、709年に僧行基がもたらしたと伝わる。樹齢1000年以上、樹高30m、目通り8mで、樹勢旺盛、地上3mから枝を張り、乳柱が垂れている。
境内東側にある<大師堂>。
<大師堂>の扁額。
大師堂の右側に建つ<弁財天>。
弁財天の手前に建つ<鐘楼>。
境内西側に建つ<納経所>。御朱印はこちら。
納経所は何か仏像を安置しているのか、大きな賽銭箱がある。
境内東側にあるお堂。扁額にお詠み歌のようなものが書いてある。
最後にもう一度、本堂全景。
すてき
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惣一郎1269投稿
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