ちばけんごこくじんじゃ
千葉縣護國神社のお参りの記録一覧
今日は桜木霊園の近くに鎮座されている千葉縣護国神社様へ。大東亜戦争をはじめ、戊辰戦争、西南戦争、日清、日露戦争などで戦地にて亡くなられた五万七千八百二十八柱の英霊の方々を御祭神としてお祀りしています。創建は明治十一年一月二十七日、初代千葉県令である柴原和が発起人となり県庁公園内に千葉縣招魂社として創建されたのがはじまりとされています。令和四年の二月二十五日に千葉市中央区弁天から現在の地に遷されました。
今日はとても良い天気で境内には七五三詣の方々も多く見られました。
小湊鉄道沿線の2社を参拝するのに4時間以上掛かって、やっと千葉に戻りました。令和4年(2022)に千葉公園内から遷座されました。現在地は桜木霊園に隣接している郊外で、バイアフリー化を謳っています。護国神社のイメージは広江境内と芝生なのですが、埼玉県護国神社に次ぐ規模の小ささかな(私が現在参拝している中での個人的感想です)創建時は維新の役にたおれた下総國佐倉藩安達直次郎盛篤命をはじめ16柱を合祀し、後に幕末の嘉永6年(1853年)以降、戊辰の役・西南の役・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・大東亜戦争などで失われた御霊をお祀りしています。アクセスは良いとは云えませんが、隣接する霊園に墓参の際にに立ち寄ることができそうです。御朱印帳を購入すると御朱印を書き入れて頂けますが、書置きの御朱印を戴きました。
社号標
鳥居
由緒書
参道
手水舎
手水盤
旧鎮座地より移設された狛犬
天皇、皇后御親拝記念碑
あゝ特攻勇士之像
各地の護国神社に同じ像があります
千葉県特攻勇士顕彰碑
神門
拝殿
扁額
境内社
久々に房総三國神社御朱印巡りで千葉駅からバスで20分ほどの所にある千葉縣護国神社様へ初参拝してきました😊
【千葉縣護国神社】
明治天皇の深い思召を以て、明治11年1月27日、初代県令柴原和が発起となり、一身を捧げて国難に殉ぜられた人々の熟を永く顕彰し、そのみたまをお慰め申し上げるため、千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建せられたのに始まり、爾来社地変更•ご社号改称等の変遷を経て、昭和42年9月30日亥鼻山から千葉市中央区弁天に遷座、令和4年2月25日現地内地にご遷座申し上げ、現在に至っております。
昭和48年10月天皇(昭和天皇)・皇后(香淳皇后) 両陛下には、国民体育大会開会式ご臨場を機に御親拝遊ばされ、同月全国身体障害者スポーツ大会にご臨場を機に皇太子(上皇)・同妃(上皇后)両殿下が御参拝遊ばされるなど創建以来皇室のご崇敬はもとより、県民遺族の変わらぬ崇敬を戴いております。
ー千葉縣護国神社HPよりー
☆大東亜戦争終結60周年記念の大鳥居⛩️と社号碑☆
☆参道☆
☆手水舎☆
☆狛犬様☆
右側が社務所
☆御拝殿☆
令和4年2月25日。新境内地•新社殿に遷座
当千葉縣護國神社は、幕末の嘉永6年(1853年)以降約一世紀にわたり、戊辰の役•西南の役•日清戦争•日露戦争•第一次世界大戦•満州事変•支那事変•大東亜戦争などにおいて、ひたすら「国安かれ」との一念のもとに、その尊いいのちを捧げられた方々のみたまを、「護國」の神としてお祀り申し上げているお社であります。
その御祭神の多くは幕末から、明治•大正•昭和にかけて、敢然と国難に立ち向かわれた前途有為な青壮年たちで現在五万七千余柱にのぼり、しかもそれは軍人だけでなく、従軍看護婦や児童、生徒など女性の御祭神も含まれているのです。このように、当社の御祭神は身分•勲階•男女の区分なく、すべて祖国に殉ぜられた尊いみたまとして斉しく大切に祀られております。
☆扁額☆
本年に145周年記念と称して、桜木にお引越しされたばかりの⛩です。ちょっと前、知らずに跡地に参拝してしまったために、神社の社殿がボーリングされている貴重なシーンに出くわしました。茅葺きの趣ある屋根が壊されるのはどうにも物悲しい。。。
そして本日、道の途中に案内板を発見し、偶然参拝する事が出来ました。
ピカピカで綺麗な鳥居や社殿。手水も最新式ですが、まだ知られていないからでしょうか、参拝客もまばらで静かな境内。穴場のパワースポットです!
移遷記念の限定御朱印あり!カッコいいです。
ピカピカの鳥居✨
コロナ対応後の最新型手水舎はヒシャクいらず
重厚な扉と厳かな境内
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