ちばじんじゃ
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千葉神社ではいただけません
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千葉神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月28日(金)
参拝:2020年5月吉日
千葉神社は、千葉県千葉市中央区にある神社。旧社格は県社。別称は「妙見本宮」で、北辰妙見尊星王の本宮の意。
創建は平安時代中期、千葉氏の守護神である北辰妙見尊星王(妙見菩薩)を本尊とする寺院「千葉妙見宮」として建立、千葉氏の祖平忠常の子・覚算大僧正によって伽藍が整備された。源頼朝も千葉常胤の案内で当寺を参拝し保護された。
1591年に徳川家康が当寺を参拝して寺領安堵と太刀一振り寄進したとされ、同時に朱印地200石と十万石の格式が与えられた。
江戸時代には北斗山金剛授寺尊光院と称する真言宗の寺院であったが、明治の神仏分離令によって神社になり、本尊を祭神に改めた。ただし、妙見菩薩と天之御中主大神は神仏習合により同一視されて来たため、今日でも当社が日本有数の「妙見信仰」の中心であることには変わりがない。
当社は、JR総武本線・千葉駅の東1kmの大通りに面した繁華街にある。南側には通町公園が境内入口と同化している。また、北側には千葉市有数の歓楽街・栄町がある。
旧社格が<県社>ということで参拝することに。参拝時は平日の午後であったが、人気の神社のようで家族連れや女性数人組などの参拝者が来ていた。
創建は平安時代中期、千葉氏の守護神である北辰妙見尊星王(妙見菩薩)を本尊とする寺院「千葉妙見宮」として建立、千葉氏の祖平忠常の子・覚算大僧正によって伽藍が整備された。源頼朝も千葉常胤の案内で当寺を参拝し保護された。
1591年に徳川家康が当寺を参拝して寺領安堵と太刀一振り寄進したとされ、同時に朱印地200石と十万石の格式が与えられた。
江戸時代には北斗山金剛授寺尊光院と称する真言宗の寺院であったが、明治の神仏分離令によって神社になり、本尊を祭神に改めた。ただし、妙見菩薩と天之御中主大神は神仏習合により同一視されて来たため、今日でも当社が日本有数の「妙見信仰」の中心であることには変わりがない。
当社は、JR総武本線・千葉駅の東1kmの大通りに面した繁華街にある。南側には通町公園が境内入口と同化している。また、北側には千葉市有数の歓楽街・栄町がある。
旧社格が<県社>ということで参拝することに。参拝時は平日の午後であったが、人気の神社のようで家族連れや女性数人組などの参拝者が来ていた。
南側の通町公園から見た、境内入口にある楼門型の<尊星殿(そんじょうでん)>。両サイドに天楼(櫓)が配置された珍しい複合建造物になっている。1998年竣工。
尊星殿の下には、柱状の<福徳殿>があり、御祭神である北辰妙見尊星王の御分霊を奉斎している。陰陽道や九星気学・風水学と深いかかわりのある御神徳により、方位方角・五行・十二支・人体各部の役割を八角形に配された八つの各星宮が個々に担い守護しているとされる。
社殿全景。大きくて立派な<重層社殿>。扁額には<妙見>の文字。
尊星殿から社殿に向かう途中の左手にある<手水舎>。
拝殿正面。
拝殿の右手にある<授与所>。御朱印はこちら。
尊星殿まで戻って、左手にある<境内社の杜>入口。
杜の入口の狛犬。割と古そうで、江戸時代モノか。
<神池>に架かる<神橋>。
境内南西端にある境内社。左から<御嶽さま>、<神明さま>、<三峯さま>、<日枝さま>。
左から<天神さま>、<八幡さま>。
左から<えびす様>、<金ぴら様>、<稲荷さま>、<石神さま>、<星神さま>、<姥神さま>。
6境内社の前にある、福授の<亀岩>。
屋根付きの<常香炉>。
境内西北部にある<千葉天神>。社殿は<千葉神社>の旧社殿。
拝殿右脇の<御力石>。
常香炉の裏手にある<美寿(みず)の宮>。
最後に、<千葉天神>の拝殿全景。
最後に、<千葉神社>の拝殿全景。
すてき
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惣一郎1269投稿
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