真言宗智山派
那古寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
行基が開山した館山市のお寺です。
海中から取り出した霊木で観音様の像を掘り、天皇の病気平癒を祈願したことが始まりです。
境内から海を臨む景色や崖の下に建つお堂など見応えがありました。
那古寺は、那古山の中腹に立つ坂東三十三番観音霊場の結願所です。
創建は、養老元年(717年)、元正天皇の病気平癒に、行基が海中より得た香木で千手観音菩薩像を刻み祈願したところ、たちどころに病気が治り、その報謝で建てられたと伝えられています。
以来、源頼朝をはじめ足利尊氏、里見義実、徳川氏らの武家の信仰を集め栄えました。
仁王門
阿弥陀堂
多宝塔
観音堂
観音堂の上から可愛い鬼さんが
のぞいてます
観音堂の中
大黒堂
大黒堂の前にいた狛犬さん
御朱印頂きました
観音堂内の彫刻は必見。撮影禁止なので目に焼き付けてきました。
本坊。
樹齢不明の蘇鉄の大樹。
後藤利兵衛橘義光の彫刻を移築したものが配置されています。
鳳凰。
松に鷹
波に鯉
当時の金箔でしょうか?保存状態は良好です。
阿弥陀堂。
多宝塔。
高台からの景色。
位置関係は
龍王堂
...岩船地蔵
大黒堂
岩船地蔵
龍王堂。階段が腐食して中を見ることはできません。
龍王堂らへんからの景色。
展望台への階段は立ち入り禁止。おのれ台風。
那古寺(なごじ)は、千葉県館山市にある真言宗智山派の寺院。山号は補陀洛山、院号は千手院。本尊は千手観世音菩薩。坂東三十三観音33番札所で結願寺。通称、「那古観音(なご~)」と呼ばれる。
寺伝によると、僧・行基が元正天皇の病気治癒のために当地を訪れ、海中から霊木を得て千手観世音菩薩を刻み祈念すると天皇の病気が平癒し、その後天皇の勅命により那古山の頂上に当寺が建立された。その後、武家の篤い信仰が続き、源頼朝が七堂伽藍を建立、千葉氏、足利氏、里見氏が帰依し、徳川幕府からも寺領を受けた。
当寺は、JR内房線・那古船形駅の南東1kmにあって、徒歩10分。車だと富津館山道路・富浦ICから南に3km。館山エリアの平地から一段高くなった那古山にあって、境内からは館山湾が見渡せる。境内は、平地に寺務所等、中段に主要堂宇、上段(那古山山頂)に潮音台という展望広場という構成になっている。堂宇はコンパクトにまとまっているので参観しやすい。
参拝時は週末の午後で、観光地・館山にあることもあって、それなりの数の参拝者が来ていた。
入口の<仁王門>。江戸時代後期の再建。平地から一段高くなった<那古山>中腹にある。(ちなみに、那古山は標高83m。笑)
仁王門をくぐる。両サイドに金剛力士像。
左側の<阿形金剛力士像>。水色の刺し色が、かなりクール。
右側の<吽形金剛力士像>。
仁王門をくぐったところ。左が海側、右が山側。
参道左手(海側)にある<水屋>。
つづいて参道左手(海側)にある<鐘楼>。4代目で1976年再建。
参道右手(山側)にある<阿弥陀堂>。2代目で、江戸後期の再建。
中に安置されているのは、鎌倉時代に造られた<阿弥陀如来坐像>。
つづいて参道右手(山側)にある<多宝塔>。2代目で、江戸中期の再建。
当寺で変わっているのは、写真左側に写る、メインの建物<観音堂>が横(左)を向ていること。つまり参道は<観音堂>の側面に突き当たる。
参道突き当りにある<観音堂>。参道突き当りで数段上がって、左側(海側)に回り込む。2代目で、江戸中期の再建。現在、修復工事中。
中に安置されている<銅造千手観音像>は、国指定の重要文化財。「圓通閣」の扁額は、江戸幕府老中・松平定信の筆。
<観音堂>の前の景色。海の向こう側には、館山湾の反対側が見える。
観音堂の向こう側、境内南西端にある<日枝神社>。「山王権現」と呼ばれた当寺の鎮守社で裏鬼門を守る。明治以降、当寺の管理外に。
観音堂の向こう側、山側にある諸堂。下段左は<大黒堂>、下段右は<地蔵祠>。上段左は<龍王堂>、上段右は<岩船地蔵堂>。
上の2堂は硬い岩を削って造られている。
<龍王堂>からの眺め。遠くの海の眺めがさらに良い。
<観音堂>からの伽藍の眺め。写真右側の建物は<納経所>。御朱印はこちら。
この伽藍で自分が一番気に入ったのは<多宝塔>。建物として造形がきれい。
伽藍とは一段下がった平地にある<本坊>。建物前両脇にある<大蘇鉄>は、江戸後期に一力長五郎という力士から寄贈されたもの。
境内入口から<本坊>を望む。なにげに立派な巨古木が何本も立っている。右側は広い駐車場。当寺はドライブにおすすめ。
以前、坂東33観音霊場の参拝でお伺いした際に、「満願になったら、ぜひこちらで確認させて頂きますのでまたお越しください」と住職さんとのご縁で、
今回、すべて参拝させて頂きましたので、伺いました。
ご朱印の左上に「結願」印💛
また、結願の証も記念に頂いてきました。
数年かけて、33霊場を参拝できたのも、いつも運転してつきあってくれた主人のおかげさまです(*'▽'*)
結願印💛が左上に
「結願の証」頂きました
「結願の証」はこのような見開きの台紙に入れて下さり、お香まで頂戴いたしました
【巡礼結願の寺:坂東三十三観音、三十三番那古寺】
坂東三十三観音は関東一円の1都6県に札所が点在しています。おおむね2年で一巡しました。三十三番の千葉県館山市、那古寺での結願は3年前の5月でした。
東京・新宿から高速バスでJR館山駅まで。以前は東京から館山まではJR内房線を1時間に1本、特急が走っていたのですが、東京湾横断道が開業してからは鉄道の利用客は減り、現在は定時の特急はなくなって週末や行楽シーズンのみとなっています。
館山駅からは市内の路線バスに乗り換え、バス停「那古」で降りれば那古寺まではすぐです。路線バスは週末でも日中は1時間に1本走っていますので、うまく予定を組み立てれば、移動の手段として十分に使えると思います。
坂東三十三観音専用の御朱印帳でしたので、納経所では御朱印に「結願」の判子も押してもらいました。さらに「巡拝畢」(「じゅんぱいおわる」と読みます)と書かれた結願証も、日付と名前入りでいただくことができました。御朱印代と別に2千円を納めたところ、この地方特産の房州うちわも記念にいただきました。今も愛用しています。
境内の裏山は遊歩道になっており、5分ほど上ると展望台があります。館山の街並みと東京湾が一望できました。
坂東三十三観音は鎌倉の杉本寺を一番に、おおむね関東を時計回りにぐるっと回ります。源平の時代、西国に遠征していた坂東武者たちが戻り、西国三十三観音にならって熱心に信仰したそうで、ここ那古寺で巡礼を終えると、海を渡って対岸の三浦半島、鎌倉へと帰っていたのでしょう。そんなことにも思いをはせました。
補陀洛山那古寺。坂東三十三観音霊場33番札所、結願寺。真言宗智山派。行基菩薩開基。ご本尊は千手観世音菩薩。那古の海から得た霊木で観音さまを彫り天皇の病気平癒を祈願した。
仁王門。
観音堂。
にゃー
千手観世音菩薩。道にあった看板の写真から🤳
大黒堂。その上の崖のとこは、岩舟地蔵と竜王堂。
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