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多聞寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月03日(月)
参拝:2020年3月吉日
多聞寺(たもんじ)は、千葉県鴨川市にある日蓮宗の寺院。
寺伝によると、鎌倉時代中期の1264年、日蓮聖人が鎌倉から故郷小湊への帰途、当地浜萩に差し掛かった時、美しい童子が当寺に導き住職と引き合わせると消えたとのこと。その夜、住職と浜萩郷士・北浦忠吾、忠内兄弟は日蓮から説法を受け、天台宗から日蓮宗に改宗し、寺号を「多聞寺」(本尊が毘沙門天=多聞天だったため)と改称した。
その3か月後、日蓮は地頭・東条景信の襲撃を受け(小松原法難)、北浦忠吾、忠内兄弟は日蓮を救い、襲撃時の眉間の傷を忠吾忠内館の「姥が池」で洗い手当をした。この池はその後大津波で消失したが、井戸に改修して「日蓮聖人御創洗霊井」として祀っているとのこと。
当寺は、JR外房線・安房天津駅の西方2kmの位置にある。国道128号線にもJR線路にも近い。
参拝時は週末の昼ごろ、鏡忍寺から清澄寺への移動中に立ち寄ってみた。境内は墓地部分が多く、墓参家族が数組いたが、一般参拝者はいないようだった。御首題の有無は不明。
寺伝によると、鎌倉時代中期の1264年、日蓮聖人が鎌倉から故郷小湊への帰途、当地浜萩に差し掛かった時、美しい童子が当寺に導き住職と引き合わせると消えたとのこと。その夜、住職と浜萩郷士・北浦忠吾、忠内兄弟は日蓮から説法を受け、天台宗から日蓮宗に改宗し、寺号を「多聞寺」(本尊が毘沙門天=多聞天だったため)と改称した。
その3か月後、日蓮は地頭・東条景信の襲撃を受け(小松原法難)、北浦忠吾、忠内兄弟は日蓮を救い、襲撃時の眉間の傷を忠吾忠内館の「姥が池」で洗い手当をした。この池はその後大津波で消失したが、井戸に改修して「日蓮聖人御創洗霊井」として祀っているとのこと。
当寺は、JR外房線・安房天津駅の西方2kmの位置にある。国道128号線にもJR線路にも近い。
参拝時は週末の昼ごろ、鏡忍寺から清澄寺への移動中に立ち寄ってみた。境内は墓地部分が多く、墓参家族が数組いたが、一般参拝者はいないようだった。御首題の有無は不明。
寺院入口の階段。境内はなだらかな斜面にある。
階段を登り切ったところに立つ<寺号標>。
参道突き当りの<本堂>。
<本堂>近くに建つ<鐘楼>。境内にあるあらゆる物が綺麗にしてあって、まるで新設の寺院のよう。
<鐘楼>の脇に駐車場完備。
すてき
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惣一郎1269投稿
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