せいちょうじ|日蓮宗|千光山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方清澄寺のお参りの記録一覧

誕生寺お参りの後、日蓮上人ゆかりのお寺である清澄寺へお参りに行きました。
駐車場から少し歩きますが空気が気持ちのいい所です。
境内にはモリアオガエルの生息する池があり鳴き声がとても心地よいです。
以下Wikipediaより
清澄寺(せいちょうじ)は、千葉県鴨川市清澄にある日蓮宗の大本山。山号は千光山。日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、総本山久遠寺・大本山池上本門寺・大本山誕生寺とともに日蓮宗四霊場と呼ばれる[










千葉県鴨川市清澄山の山頂近くにある日蓮宗の大本山の清澄寺にお参りしました😊
山号は千光山⛰✨
日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、総本山久遠寺・大本山池上本門寺・大本山誕生寺とともに日蓮宗四霊場と呼ばれています🙏駐車場からの景色が素晴らしい!歌川広重が描いた「安房清住山」はここからの眺めなのかな😊

駐車場からの景色✨

歌川広重が描いた「安房清住山」😊

仁王門✨



参道✨

境内✨


大堂(本堂)✨

祖師堂✨

鐘楼堂✨

書き置き御朱印いただきました🙏

千光山清澄寺はおよそ一千二百年の昔、不思議法師と名づけられた僧侶が、この山の頂から光が発するのを見て山に分け入り、妙見菩薩現れこの山で修行のお告げあり、法師光り輝く柏の木で小さな虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を彫り修行したことに始まる。その後、慈覚大師この地を訪れ、天台宗のお寺となり、しだいに栄えていった。虚空蔵菩薩は、智慧福徳の菩薩として名高く、日本三体の一つとして尊信せられている。
鎌倉時代はこのお寺が最も栄えた時期で、僧坊は十二、祠堂二十五を数えた。
室町時代の後半から、たび重なる火災等によりお寺の衰退が始まる。
江戸時代の初め、徳川家康公よりこの山を賜わった頼勢法印再興し真言宗となる。幕府より十万石の格式を賜り、京都・醍醐三宝院の関東別院となり、寺紋は菊と五七の桐になる。
明治期に入ると廃仏棄釈により、厳しい時代を迎える。
大正期に時の日蓮宗管長河合日辰猊下、夢枕に虚空蔵菩薩出現し、『聖人の法華経布教事蹟を示したまえ』とのお告げをうけ、猊下は来山され、これにより銅像建立の機運が高まり、大正十二年八月三十日建立。さらには、昭和二十四年にこのお寺は日蓮宗に改宗し、管長住職として宗門直轄の大本山として現在に至る。
日蓮大聖人は一二三三年(天福元年)五月十二日、十二歳でこの山に入り勉学に励み、道善房を師として十六歳で出家得度し、虚空蔵菩薩に『日本第一の智者となしたまえ』と願をかけられた。その後、鎌倉、比叡山などに遊学し、三十二歳この山に戻られ、『お釈迦様の御心は法華経にあり、法華経こそが一切衆生を救う教えである』と悟られ、一二五三年(建長五年)四月二十八日、旭が森において昇りくる旭日に向かって始めて南無妙法蓮華経の御題目を唱えられ、立教開宗された。








本堂

本堂

本堂

本堂

本堂





清澄寺に行くまでの高低差は、かなりありました。
つつじがこれから満開を迎えるのでこれから5月初旬にかけて見どころの寺院となると思われます。

御首題

大堂

旭が森からの風景1

旭が森からの風景2

道善房
千葉県のおすすめ3選❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ




















































































































































































9
0