せいちょうじ|日蓮宗|千光山
清澄寺のお参りの記録一覧
千光山清澄寺はおよそ一千二百年の昔、不思議法師と名づけられた僧侶が、この山の頂から光が発するのを見て山に分け入り、妙見菩薩現れこの山で修行のお告げあり、法師光り輝く柏の木で小さな虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を彫り修行したことに始まる。その後、慈覚大師この地を訪れ、天台宗のお寺となり、しだいに栄えていった。虚空蔵菩薩は、智慧福徳の菩薩として名高く、日本三体の一つとして尊信せられている。
鎌倉時代はこのお寺が最も栄えた時期で、僧坊は十二、祠堂二十五を数えた。
室町時代の後半から、たび重なる火災等によりお寺の衰退が始まる。
江戸時代の初め、徳川家康公よりこの山を賜わった頼勢法印再興し真言宗となる。幕府より十万石の格式を賜り、京都・醍醐三宝院の関東別院となり、寺紋は菊と五七の桐になる。
明治期に入ると廃仏棄釈により、厳しい時代を迎える。
大正期に時の日蓮宗管長河合日辰猊下、夢枕に虚空蔵菩薩出現し、『聖人の法華経布教事蹟を示したまえ』とのお告げをうけ、猊下は来山され、これにより銅像建立の機運が高まり、大正十二年八月三十日建立。さらには、昭和二十四年にこのお寺は日蓮宗に改宗し、管長住職として宗門直轄の大本山として現在に至る。
日蓮大聖人は一二三三年(天福元年)五月十二日、十二歳でこの山に入り勉学に励み、道善房を師として十六歳で出家得度し、虚空蔵菩薩に『日本第一の智者となしたまえ』と願をかけられた。その後、鎌倉、比叡山などに遊学し、三十二歳この山に戻られ、『お釈迦様の御心は法華経にあり、法華経こそが一切衆生を救う教えである』と悟られ、一二五三年(建長五年)四月二十八日、旭が森において昇りくる旭日に向かって始めて南無妙法蓮華経の御題目を唱えられ、立教開宗された。
本堂
本堂
本堂
本堂
本堂
清澄寺に行くまでの高低差は、かなりありました。
つつじがこれから満開を迎えるのでこれから5月初旬にかけて見どころの寺院となると思われます。
御首題
大堂
旭が森からの風景1
旭が森からの風景2
道善房
日蓮聖人ととても縁が深く、故に改宗に至ったお寺。ながいこと天台宗寺院だったそうです。
仁王門。
千年杉。
案内板。
観音堂。
祖師堂。
島村唐四郎の彫刻。島村姓は伊八の師匠の家系です。
破風の力士。
石幢。
妙見堂。
中門。
大楠と宝篋印塔。
学問的に価値が高い宝篋印塔。
清澄寺(せいちょうじ)は、千葉県鴨川市にある日蓮宗の大本山の寺院。山号は千光山。本尊は十界曼荼羅。日蓮聖人が出家得度、立教開宗した寺とされる。総本山久遠寺、大本山池上本門寺、大本山誕生寺と合わせ日蓮宗四霊場と呼ばれる。東国花の寺百ケ寺・千葉11番。
寺伝によると、奈良時代の771年に素性が不明な僧・不思議法師が当地を訪れ虚空蔵菩薩を祀る一寺を建立し、山岳信仰の霊場となったという。古い柏の霊木が千光を発したことに因み山号を「千光山」、霊木の下の涸れ池を加持すると清泉が湧いたことに因み寺号を「清澄寺」にしたという。かつては12坊25堂を構える巨刹として繁栄したが、江戸時代初期の1618年2代将軍・徳川秀忠の命により智積院の頼勢が入寺し真言宗に改宗された。結果、朱印500石と十万石格式が与えられ併せて独礼寺格も有することになった。また、醍醐三宝院門跡の関東別院に定められ、十六葉菊紋の使用と駆け込み罪人の特赦が認められた。
戦後になって1949年に日蓮宗に改宗し、その後大本山となった。
当寺は、JR外房線・安房天津駅から北に6kmほどの山間部に位置している。内陸部から天津小湊(安房天津駅付近)に抜ける県道81号線からほど近い、交通の便が良い場所にある。
参拝時は週末の午後、観光地としても知られているようで、家族連れなどの参拝者がそれなりに来ていた。
歩いてきた道から見える景色。伽藍は<仁王門>をくぐって左側にあるらしい。
峠の茶屋から道を少し下がったところに境内がある。
境内入口の<仁王門>。
仁王門を抜けると、右手に<手水鉢>。写真左側にある<巨木>が気になる...
<仁王門>を振り返ると、こちらには山号<千光山>の文字の扁額が。<手水鉢>の向かいには<札所>。
<仁王門>をくぐって少し進み、直角に左方向に曲がってから進むと、突き当りに<大堂>。
<大堂>正面に祀られている<虚空蔵菩薩>は、「日本三虚空蔵」の一つに数えられることもある。
<大堂>の向拝の梁の彫刻が美しい。
<大堂>の右手に<授与所>。御首題はこちら。
<大堂>に向かって左手にある、大きく立派な<祖師堂>。
<大堂>に向かって右後方にある<鐘楼>。
<大堂>に向かって右手にある<中門>。かつて何かの境界があったのか。
境内の北東部、宝物館の近くにある<大楠>。斜面に力強く根を張っている。
境内の北東部にある<宝物館>。
宝物館の前にある<梵鐘(1382年銘)>と<宝篋印塔(1407年銘)>。
<仁王門>をくぐった時から気になっていた、境内の東端にある<千年杉>。この高さと太さが半端ない。説明書きだと、根回り太さ17.5m、目通り太さ15m、高さ47m。
どのぐらい太いかというと、写真のご家族(身長170㎝ほどと思われる)と比べると、半端ない太さが分かる。
<千年杉>から見た伽藍。意外とコンパクトにまとまって建っている。
<千年杉>から境内南東部に向かう途中にある<練行堂>。
境内南東部にある<清澄山仏舎利塔>。
境内南東端にある<日本山妙法寺>。
境内南東部の小高い場所に立つ<旭が森 日蓮聖人銅像>。1922年造立。
日蓮聖人像が見ている方向の景色。森の向こうに太平洋が見える。真南にある生誕地・小湊の方角か。
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