くしひきはちまんぐう
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櫛引八幡宮の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主》誉田別尊,《配》天照皇大神,天津児屋根神,大国主神,倉稲霊神,建御名方神,武甕槌神,惶根神,伊弉諾神,伊弉冉神,鳴雷神,水波能売神,生保馬神,白山比咩神,泥土煮神,素盞雄神,火産霊神,猿田彦神,大山祇神 | |
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創建時代 | 伝建久年間 | |
創始者 | 南部光行公 | |
ご由緒 | 「櫛引神社」は、平安時代、南部家初代光行公による草創と伝えられています。 「櫛引八幡縁起」という文書には、かつて櫛引村に大同年間(806年~810年)に、坂上田村麻呂が祀った八幡宮の小社があり、同神同体であるので、瀧ノ沢の仮ノ宮から、この地に遷座した、とあるそうです。 以後、「櫛引八幡宮」(神社)と称し、南部の総鎮守となりました。 | |
歴史 | 歴史[編集] 仁安元年(1166年)に加賀美遠光が甲州南部庄(現山梨県南部町一帯)に八幡神を勧請して創祀し、緋威の鎧を殿内に納めたという八幡宮に起源を持ち、文治5年(1189年)の奥州合戦で戦功をたてたその息南部光行(南部氏の始祖)が糠部5郡(八戸・三戸・下北・鹿角・下北)の領地を任されて建久2年(1191年)に入部した折に、六戸の瀧ノ沢村に社殿を造営して南部庄から八幡宮を遷座し、さらに貞応元年 (1222年) に櫛引村の現在地に遷座したという。社伝の『櫛引八幡宮縁起旧記』によれば、瀧ノ沢村への遷座に際しては津島平次郎という家臣が甲州へ遣わされ、同村に仮宮を営んだのも同人であった事から、...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「櫛引八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AB%9B%E5%BC%95%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=102204943 |
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