うとうじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
善知鳥神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年10月27日(木)
参拝:2022年9月吉日
【陸奥國 古社巡り】
善知鳥神社(うとう~)は、青森県青森市安方にある神社。旧県社。祭神は宗像三神(市寸嶋比賣命、多岐都比賣命、多紀理毘賣命)。青森県で最も初詣参拝者が多い神社。
社伝によると、創建は第18代允恭天皇の御代、烏頭安潟の夢枕に高倉明神が立ちお告げを受けたことから祠を建て宗像三神を勧請したことに始まる。その後荒廃したが、平安時代初期の807年に坂上田村麻呂が東夷東征の際に再建し、以来歴代領主から崇敬された。伝承では源義経が欧州平泉を脱出し蝦夷地を目指した際、当社を参拝したと伝わる。中世においては領主・南部家の庇護を受け社殿の造営・改修が行われ、江戸時代には弘前藩主津軽家の祈願所となった。このころ、当地周辺は港町として栄えたが、船舶から当社の社叢が青々と見え、海運の目印となったことから「青森」の地名が付いたとされる。明治に入り、近代社格制度のもと郷社に列し、のちに県社に昇格した。なお、棟方志功ゆかりの神社としても知られ、幼少期の遊び場で、結婚式も当社で挙げているとのこと。
当社は、JR奥羽本線・青森駅の東方600mの市街地、青森港もほど近い平地にある。境内は広々としていて、社殿も大きく重厚。青森総鎮守の旧県社らしい風格がある。ただ、おそらく当社も第二次世界大戦で米軍による青森大空襲で被災したからでしょう、古社なのに境内に古木などはなく、建物はいずれも近代的で新しいところは、由緒を知ると違和感はある。
今回は、青森県の旧県社、人気神社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外にも地元の若い人々を中心に、おひとり様、カップル、グループ、家族などで参拝に訪れていた。青森の人たちの生活に溶け込み、大事にされている感じがした。
境内東端入口全景。青森市の中心街にある。
参道から少し離れたところに立っている<社号標>。明治34年(1901年)のもの。達筆過ぎてほぼ読めない...(^_^;)
参道進んで<一の鳥居>。
さらに参道進んで<二の鳥居>。
参道左側の<社務所>。御朱印はこちら。
参道左側の<手水舎>。
参道の突き当りにある<拝殿>。
参道左側の<狛犬>。丸々太って、おめめくりくり。これはまた個性的なお姿。
参道右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。鉄筋コンクリ製(たぶん)の神明造。北海道の神社みたい。似ているのは、ともに雪深いからかな。
拝殿向かって左側にある建物。扁額の文字は「御宝殿」かな?
ここから社殿の左側を奥に向かってすすみ、社殿の周りを時計回りに廻る。
こちらは<西南の役・戦没者慰霊碑>。
こちらは<西南の役・戦没者慰霊碑>。
拝殿後ろの<本殿>。高く盛り上がったところに立っていて、平地からだと見上げる感じ。
社殿左奥には鳥居が立っている。
鳥居をくぐってすぐ左側にある建物。
鳥居をくぐって突き当りの、池の左端にある<龍神之水>。
本殿の背後にある池。島がポツンと浮いていて、赤い橋が架かっている。
島の上にある<弁財天宮>。江戸時代前期の1841年建立と伝わる。
社殿の右側にある<うとう沼>。かつては「安潟」と呼ばれ、天然の湖沼だったとのこと。
拝殿に向かって右手の<うとう沼>近くに、いつ区化の境内社とたくさんの石碑が立っている。
こちらは明治の俳人・増田手古奈の句碑。
こちらは明治の俳人・増田手古奈の句碑。
こちらは<芭蕉翁句碑>。
こちらは<宮川翠雨書碑>。
こちらは<龍神宮>。江戸時代中期1777年に漁業守護・繁栄のために建立された。
鳥居の奥にある石碑は、左が<猿田彦大神>、右が<猿田彦命・月夜見命>。右側の小祠は詳細不明。
真っ赤な鳥居が立っているのは<稲荷神社>。
これは鳥の芸術作品?説明文の対応関係が分からなかった...(^_^;)
江戸時代後期の民俗学者・歌人の<菅江真澄>の歌碑。
こちらは、謡曲「善知鳥」とその「旧跡之地」碑。
最後に<社殿>全景。さすが、青森県の初詣参拝者数No.1の大神社。大きくて立派!(^▽^)/
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。