御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
淨應寺ではいただけません
広告

真宗大谷派

淨應寺
秋田県 東大館駅

御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
-

写真

このお寺の写真はまだ投稿されていません。

初めての写真を投稿しませんか?

投稿する

淨應寺の基本情報

住所秋田県大館市字大館5
行き方
アクセスを詳しく見る
名称淨應寺
電話番号0186-42-1405
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

宗旨・宗派真宗大谷派
創建時代明応年間(1492-1501年)
開山・開基誉田大内記道願
文化財

枝垂桜
慶長年間、片山村立杭より現在地に寺基を御移従。記念として京都東山円山より若木を植樹。

ご由緒

戦国時代(1467-1568年)、河内国(大阪)に生まれて京都御所の守護に当った誉田大内記が、戦国の世の無常を感じ、本願寺八世蓮如上人の弟子となって、道願の法名を受けた。道願は、他力本願の慈悲法悦を体得して、諸国巡教を上人に願い出たところ、上人は非常に喜ばれ、三方阿弥陀如来像の軸を下さった。道願は、信者の河内屋嘉兵衛を供として秋田に下向し、寺内将軍野に草庵を結んで人々を教化したが、のち大館の片杭村(大館二ツ山)に来て一寺を建立した。明応年間(1492-1501年)の開基である。慶長7年(1602)、佐竹氏が秋田に遷封され、小場義成公(大館初代城代、のち三代城代義房以後佐竹姓を名乗る)が大館入城の頃は、当地方を治めていた浅利氏の残党がなかなか服従しなかった。その時、当時三代目玄正が単身で赴き、浅利方を説得し、義成公を無血入城させた。その功によって現在地を与えられ、また本山より、現在の称号を許可された。明治元年(1868)の戊辰の戦火で、本堂その他の建物が焼失したが、十三代目知足が明治20年(1887)ころ再建して今日に至った。また、境台の太子堂本尊御木像は藤原末期の作で、京都六角堂御本尊十六体中の分身である。

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ