そうげんじ|曹洞宗|金鈴山
曹源寺のお参りの記録一覧

知多四国八十八ヶ所巡りの15寺目は、5寺目~14寺目と同じく常滑市大谷に在る番外札所・厄除大師の金鈴山 曹源寺です。
14寺目の来応寺から南へ約200m。
曹洞宗で、本尊は阿弥陀如来。
1534年頃の創建。明治時代初期までは隣接する八幡社の所管をしていたため、「宮寺」と呼ばれていたとの事です。
常滑街道沿いにあり、境内に停めさせて頂きました。面倒な奴と思うでしょうが、こちらの寺院も先の寺院と同様に、車から降りて一旦境内から出て再度入り直しました。
山門は無く、石柱の間を抜けると境内です。
正面に本堂、石柱の直ぐ右側に手水、左側に庚申堂、金毘羅堂です。庚申堂には左から役行者、青面金剛(庚申)、天神(菅原道真)が祀られていました。金毘羅堂には金毘羅尊天と不動明王が祀られていました。
こちらの寺院は別堂で弘法堂があるタイプではなく、本堂内の左側に弘法大師が祀られているタイプ。本堂の真ん中の戸口からは須弥壇が見え、阿弥陀如来坐像が安置されていましたので手を合わせました。左側へ行って戸口を少し開けると右手に宝剣を持った大師38歳の頃の御姿を表した「一切厄除大師」が安置されていました。両脇にも大師像がありました。それぞれに手を合わせました。
最後に庫裏の納経所で御朱印を頂きました。
御朱印
手水
庚申堂
役行者、青面金剛(庚申)、天神(菅原道真)
金毘羅堂
金毘羅尊天、不動明王
本堂
阿弥陀如来
弘法大師(右手に宝剣を持つ)=大師38歳の頃の御姿を表したもので「一切厄除大師」と呼ばれる

知多四国八十八か所巡り八十八番札所 番外所⛩
金鈴山 厄除大師曹源寺(きんれいざん そうげんじ)は、1500年頃の創建という記録が残されています。本尊は阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)。
明治初期までは隣接する八幡(はちまん)社(しゃ)を所管していたため、地域の方々から「宮寺(みやでら)」とも呼ばれ、親しまれていました(八幡社の棟札に「康正三(1457)年三月一二日願主 曹源寺持比血澄慶」と記されていることなどから、これ以前に開創されていた可能性もあります)。
境内には祭礼の山車を収める鞘(さや)蔵(ぐら)があり、大谷奥條地区の「東櫻車(とうおうしゃ)」が収められています。
当寺には三体の弘法大師像が祀られています。
そのうち中央の大師像は、宝剣を持ち密林の深い山々や湖沼に住む大蛇悪鬼を護摩妙供の秘力で退散させた、大師38歳の頃の御姿を表したものと伝わっており、霊験あらたかな「一切(いっさい)厄除(やくよけ)大師(だいし)」として多くの参拝者が訪れています。
また当寺は、「くるま奉納」でも知られています。大正12年、病気平癒を願って木製のくるまを二頭の犬に引かせ諸国を巡拝していた男性が、夢のお告げにより当山を参拝したところ、不自由な身体が快癒したため、そのくるまを奉納したと伝えられています。今もそのくるまは、弘法堂に残されています。
山門入って左側の別堂には、不動明王と金毘羅大権現が祀られており、大漁や商売繁盛などを祈願し御祈祷が行われます。
また、手前の庚申(こうしん)堂には、庚申さま、学問の神である天神さま、役行者(えんのぎょうじゃ)さまが祀られており、ほほえみ童子は禅語「和顔愛語(わげんあいご)」を体現するスマイルで参拝者の人気者となっています。
知多四国 番外札所
名鉄の「歩いて巡拝 知多四国」で訪れました。
こちらは躄車奉納霊場。躄車(いざりくるま)って何?今でいうところの車椅子といったところ。どっちかというと乳母車に近いかな、いや遠いかな。
大正12年、岡山県の若者が躄車に乗って知多四国を巡拝していました。ある夜、弘法大師が夢枕に立ち「番外札所に行くがよい。さすれば、おまえの病は治るであろう。」とのお告げ。
次の日、躄車に乗って番外札所の曹源寺に参拝。そしたら、あら不思議、すっくと立ち上がることができたではありませんか。よかったね。
左手にあるのが、奉納された躄車。
こちらの弘法大師さん、宝剣を持ってます。
金毘羅堂
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