ほうさんじ|臨済宗天龍寺派|曇華山
法山寺のお参りの記録一覧
知多四国八十八ヶ所巡りの17寺目は、16寺目と同じく知多郡美浜町野間に在る第55番札所の曇華山 法山寺です。
16寺目の報恩寺から南へ約2km。
臨済宗天龍寺派で、本尊は薬師如来。
3時のおやつの時刻より前で、まだまだ巡る積りでしたが、またデジカメのバッテリー残量が無くなってしまいました。(同じ事を何度もやるのは阿呆です。)よってこちらで今回の寺院巡りの最後となります。
神亀年間(724~9年)に行基がこの山上に優曇華(うどんげ)の花が咲いているのを見て、衆生済度を祈願し薬師如来を刻み、一堂を建立して奉安したのが始まりされ、平安時代には空海が留錫し、修行を行った。鎌倉時代には夢窓国師によって七堂伽藍が整えられたと伝わります。
短いですが結構な急坂を上がると境内で、境内に数台停めれる駐車場があり、停めさせて頂きました。坂を上がりきった右側に手水、正面にやまのかみ大明神。その間を進むと左側に弘法堂です。堂内には入れませんので、戸口から奥の方の須弥壇に弘法大師、手を合わせました。先へ行くと右側に鐘楼、左側に本堂です。「瑠璃光」の扁額ですから薬師如来を祀っています。幟は御湯殿薬師。こちらも堂内には入れませんので、戸口から。正面に薬師如来坐像、脇侍に日光、月光菩薩(立像?)ですが、暗いし、距離があるのでよくわかりませんでした。その左右にはガラス戸の中に十二神将でした。
本堂の奥へ行くと道は下り、源義朝が謀殺されたと伝わる湯殿跡と源義朝の像がありました。日中でしたがやや暗くて、ちょっと不気味な感じ。
本尊を御湯殿薬師と呼ぶ位ですから、この湯殿は霊験があったのでしょうね。
来た道を戻って、弘法堂とやまのかみ大明神の間くらいに納経所がありましたので、御朱印を頂きました。
南知多道路の美浜ICから乗って帰路につきました。
御朱印
御湯殿薬師と書かれています
手水
やまのかみ大明神
弘法堂
弘法大師
鐘楼
本堂
本尊・薬師如来坐像
源義朝が謀殺されたと伝わる湯殿跡
名鉄の「歩いて巡拝 知多四国」で訪れました。
野間大坊から55番札所の法山寺に向かいます。
法山寺は源義朝が暗殺された湯殿跡があります。
法山寺に行く途中にある、現在の乱橋。
乱橋碑
法山寺にある湯殿に入浴していた義朝は、着替えを持ってくるのを忘れたもんで、家臣達に取りに行かせたそうな。義朝が殺されたのはまさにこの時。主君の一大事を聞き、取って返す家臣達。その手前にある橋にさしかかったとき長田氏の手勢と鉢合わせ。一戦交えた場所が、ここにあった橋。以来この橋を「乱橋」という。
法山寺の本尊である薬師如来と湯殿の霊泉は古くから信仰を集めており、ひっきりなしに参拝者が訪れたため、寺の手前にある板橋が揺れ乱れたので「乱橋」という名が付いたともいわれる。
法山寺本堂
本尊 御湯殿薬師如来
現在の湯殿は涸渇しているが、古来より薬師の霊泉とされ、眼病や皮膚病に良いとされていた。
弘法堂
法山寺の境内を突っ切り、次は57番札所の報恩寺へ。
「マジで、この山道を行くのか!」
知多西国八十八カ所霊場
第55番札所
人の運命というものは、いつ何時狂ってしまうか分かりません。
義朝さんも風呂に入らなかったら殺されることも無かったろうに。
ましてや、義朝さんがこの地に立ち寄らなかったら長田親子も反逆者で処刑されなくて済んだろうに。
歴史の舞台を目の前にして目の奥があつくなるのを感じました。
急な坂を上ります。車で上がれます。
坂を上りきると目の前に大明神。
本堂
弘法堂
(ちなみに写真)源義朝を謀殺した長田親子がはりつけになった場所。かなりむごたらしい方法で処刑されたらしいです。
(ちなみに写真)長田親子の屋敷跡
(ちなみに写真)法山寺に向かう途中、小さな橋が在ります。
乱橋といいます。現在の橋です。
乱橋の石碑が建ってます。義朝の首を落とした長田親子と急を聞きつけた腹心の家来達がこの橋の上でチャンチャンバラバラを繰り広げたそうです。かなりの死者が出たそうな。
義朝さんが殺害されたお風呂。当時は温泉だったとか。正月三日、初風呂だったとか。
湯殿の横に義朝さんの像
千人塚 乱橋で亡くなった人達と義朝さんの胴体を埋葬しているそうな。
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