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こんれんじ|曹洞宗青龍山

金蓮寺の御由緒・歴史
愛知県 吉良吉田駅

ご本尊不動明王
創建時代平安時代後期
ご由緒

平安時代に幡豆郡司を務めた三河伴氏の系図に、額田郡司の娘で伴氏に嫁いだ女性が金蓮寺を氏寺としたとの記述があることから、金蓮寺の創建が平安時代後期にさかのぼることは明らかです。
文治2年(1186)に源頼朝の命によって、三河守護の安達盛長が建立した「三河七御堂」のひとつに金蓮寺も数えられています。しかし、これら以外には、平安•鎌倉時代の金蓮寺に関する史料はなく、現存する弥陀堂の建築の経緯については不明のままです。
弥陀堂の建築にあたっては、洗練された様式から京の大工を迎えるなど当地の領主が関わったものと想像されますが、今日まで修理を重ねながら奇跡的に残されてきたことは、歴代領主の庇護とともに地元民の厚い信仰心によるものといえるでしょう。
(金蓮寺弥陀堂リーフより)

歴史
歴史[編集] この寺の創建年代等については不詳であるが、もとは真言宗寺院光福寺の子院のひとつであったものを、暦応3年(1340年)足利尊氏が現在の場所に移し、青蓮山金蓮寺と号したという。江戸時代に入ると、この地の領主で江戸幕府の旗本である吉良氏の帰依を得、寛政年間(1789年 - 1801年)曹洞宗に改められた。
引用元情報金蓮寺 (西尾市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%87%91%E8%93%AE%E5%AF%BA%20%28%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%B8%82%29&oldid=98312229

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