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とくおういなりしゃ・ことひらしゃ

徳王稲荷社・金刀比羅社の御由緒・歴史
愛知県 東岡崎駅

ご祭神《主》宇気比売神,大穴牟遅神,《配》崇徳天皇,猿田彦神
創建時代永正3年(1507)
ご由緒

徳王稲荷社は、永正3年(1506)に今川氏親の発願で、稲熊(現・岡崎市稲熊町)の郷石山に稲荷大神が勧請されたのが始まりと伝えられています。明治26年(1893)1月3日に市内両町に移転し、徳王稲荷社に改称しています。昭和20年(1945)7月20日の岡崎空襲によって社殿は焼失しました。

歴史
歴史[編集] 徳王稲荷社は、1507年(永正3年)に今川氏親の発願により、稲熊の郷石山の地に稲荷大神が勧請されたのを起源とする。1893年(明治26年)1月3日に両町に移転し、同年1月26日に徳王稲荷社に改称された。1920年(大正9年)4月12日には村社に列せられ、7月9日に神饌幣帛料供進神社に指定された。1945年(昭和20年)7月20日の岡崎空襲により社殿が焼失した。 一方の金刀比羅社は、建保の世(1215年頃)に本間三郎重光の臣伴隼人、北野天神の祠官として奉仕したのが起源とされている。永禄の世(1560年頃)に両町に住む伴孫太郎が徳川家康に弓弦を献じたことにより、弦指屋敷と称せら...Wikipediaで続きを読む
引用元情報徳王稲荷社金刀比羅社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BE%B3%E7%8E%8B%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A4%BE%E9%87%91%E5%88%80%E6%AF%94%E7%BE%85%E7%A4%BE&oldid=98063127

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