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大樹寺(松安院大樹寺)ではいただけません
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大樹寺(松安院大樹寺)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年06月13日(火)
参拝:2023年5月吉日
室町時代の文明7(1475)年に、松平家4代松平親忠が戦死者供養のため創建した、松平家・徳川将軍家の菩提寺として知られています。
東海地方随一の美しさと称えられる多宝塔や、冷泉為恭の描いた障壁画などの重要文化財のほか、松平8代の墓や家康公の木像、徳川歴代将軍の等身大の位牌が安置されています。
また、三門から総門を通して、はるか南方に岡崎城が見えるよう伽藍の配置が工夫されており、徳川家と大樹寺の関係の深さがうかがえます。岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は「ビスタライン」と呼ばれています。
東海地方随一の美しさと称えられる多宝塔や、冷泉為恭の描いた障壁画などの重要文化財のほか、松平8代の墓や家康公の木像、徳川歴代将軍の等身大の位牌が安置されています。
また、三門から総門を通して、はるか南方に岡崎城が見えるよう伽藍の配置が工夫されており、徳川家と大樹寺の関係の深さがうかがえます。岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は「ビスタライン」と呼ばれています。
「厭離穢土 欣求浄土」は、徳川家康公が旗印に使っていた言葉です。
「穢れたこの世を厭い離れたいと願い、心から欣んで平和な極楽浄土をこい願う」という意味です。家康公が松平元康という名前だったころ、桶狭間の戦いで主君である今川義元が討たれ、逃げかくれた大樹寺の、松平家のお墓の前で自害しようとした時、登誉上人が元康に言った言葉です。家康公はこの言葉をむねに、「天下泰平」を実現させるため、戦国時代を戦い抜いたのです。
「穢れたこの世を厭い離れたいと願い、心から欣んで平和な極楽浄土をこい願う」という意味です。家康公が松平元康という名前だったころ、桶狭間の戦いで主君である今川義元が討たれ、逃げかくれた大樹寺の、松平家のお墓の前で自害しようとした時、登誉上人が元康に言った言葉です。家康公はこの言葉をむねに、「天下泰平」を実現させるため、戦国時代を戦い抜いたのです。
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