御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

とろはちまんぐう

土呂八幡宮の御由緒・歴史
愛知県 岡崎駅

ご祭神《主》応神天皇,天照皇大神,《配》白山姫命,伊雑大神,罔象女命
創建時代奈良朝の末年か平安朝初期の頃
ご由緒

当社創立の由来を伝えるに、永禄7(1564)年3月一向宗騒乱(三河一向一揆)の際、戦火を被り縁起、社歴等は焼失し詳細を知る由なきも、残存している遺物文献によれば、遠く奈良朝の末年か平安朝の初期と思われます。
永禄の頃までは、随神門が有り、また神宮寺も建立しており、付近一帯の鎮守産土神として尊敬厚き総社でした。
応仁元(1467)年正月、真宗本願寺八代目蓮如上人が当地に来て、神宮寺の側に寺(土呂御坊本宗寺又は善秀寺)を建立し、三河門徒の拠点地となる。かくして浄土真宗隆昌し、僧兵を置いて勢力を振るう。是により神宮寺はもちろん、当社の社運日に月に衰微してしまいました。然るに、永禄6年(1563)一向宗の騒乱蜂起し、翌7年徳川家康に攻められ本宗寺滅亡したので、家康の家臣石川数正が乱後の平定に努めると同時に八幡宮の社殿を造営し、鏡二面を奉納すると伝わります。
元亀年中(1570~72)に至り、神宮寺は退廃はなはだしく再興の余地なく本尊佛のみ修理し、当社の拝殿に安置し、寺門廃滅にいたりました。
元和2年(1616)幕府代官畔柳寿学が当所を支配するに当たり、寿学社参して本殿拝殿等の再建を命じ、同5年9月落成しました。

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ