さなげじんじゃ
猿投神社愛知県 貝津駅
9時〜17時(年末年始除く)
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方写真撮影は、社務所に神職さんが見えた際は一言お断りされた方が無難です。

☆☆☆愛知県 豊田市☆☆☆(さなげじんじゃ)
豊田市北部の神社巡礼:
1,000投稿からリセットされ、最初の投稿となります。
当方が一番お世話になっている神社です。
事あるごとにお祓いもしていただきます。
この日は、先に投稿した「東の宮」「西の宮」の締めくくりとなりました。
春の暖かい日を迎え、いつもに無い参拝の方々がお見えでした。
ところで投稿写真画像には「人」が写らないように心掛けています。
決して「加工」もしておりません。
当方の投稿写真は「いかに無人か」を課題としております。
いかに美しくアングルを決められることも十分に大切と思いますが、残念ながら「腕」がありません。
その絶妙なタイミングに一喜一憂しております。
そんなわけで京都や奈良など有名寺社なんかではいつもとても難しく感じます。
考えてみたら、こんなことで労力を使うのもおかしいですね。
と、思いながら「無人」のタイミングを狙い続けています。

【三河国 式内社巡り】
猿投神社(さなげ~)は、愛知県豊田市猿投町大城にある神社。式内社で、三河国三之宮。旧社格は県社。猿投山を神体山とし、主祭神は大碓命(おおうす)、配祀神は景行天皇(第12代、主神の父)、垂仁天皇(第11代、主神の祖父)。
『日本書紀』によると、大碓命は景行天皇に東征を命じられたが、これを恐れて逃亡し美濃国に封じられたとある。779年に編纂された縁起書によると大碓命は景行天皇52年に猿投山中で毒蛇により死去し、山上に葬られたという。社伝によると、当社は仲哀天皇元年に勅願により現在地に創建された。国史では『日本文徳天皇実録』の平安時代851年の条に「狭投神」の神階奉授の記載がある。また、927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「参河国 賀茂郡 猿投神社 小」に比定されている。その後、戦国時代の1534年には松平清康により攻撃され堂塔を焼失したが、梅坪城主の三宅氏や那須氏などにより再建された。1561年に織田信長が三河の高橋荘を支配下に入れると当社を保護した。明治時代に入り、近代社格制度の下、県社に列格するとともに、『延喜式神名帳』に記載のある「参河国 賀茂郡 広沢神社 小」を合祀した(現在は「広沢天神社」の名称で摂社として分祀)。
当社は、愛知環状鉄道・保見駅の北東6kmの猿投山南麓にある。境内南端の神門から古巨木が建ち並ぶ長い参道を進むとなだらかに登って行くと、広々とした社殿周りに辿り着く。社殿の構成は独特で、拝殿、四方殿、中門、本殿が縦に並び、参拝者は中門で参拝する。中門の右側には透塀が巡らされ、本殿の右側に境内社があるため、透塀には境内社の参拝所が設置されている。全体として古社、大社の雰囲気に溢れている。
今回は、三河国の式内社、三之宮、旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、多くの参拝客が訪れていた。
境内南端入口にある<総門(山門)>と<社号標>。手前は大通りの交差点。
総門の外にある<二の鳥居>。県道349号線(深見亀首線)で南西から来る場合は、この目立つ鳥居が目印。駐車場は総門の右側の道に入った先にある。












| 住所 | 愛知県豊田市猿投町大城5 |
|---|---|
| 行き方 | 名鉄「豊田市駅」西口から、「とよたおいでんバス 藤岡・豊田線(加納経由)」で、「猿投神社前バス停」下車。 |
| 名称 | 猿投神社 |
|---|---|
| 読み方 | さなげじんじゃ |
| 通称 | 猿投さん |
| 参拝時間 | 9時〜17時(年末年始除く) |
| 参拝にかかる時間 | 約30分(奥の院入れると登山によりけりで時間は変わる) |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり 手水舎近く |
| 御朱印 | あり 複数種あり〼 |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
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