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尾張国山田郡の式内論社です。名古屋市にも同名社があり論社に挙がっています。古代氏族である和爾氏の分家が移り住み、自らの祖神さんを祀ったのが始まりとされています。

《鳥居と社号碑》
和爾良神社の社号碑とともに小野道風神社という社号碑がありました。

《表参道》

《由緒書き》
当社は一度荒廃し、鎌倉時代に白山系の神社として再興されたようです。この由緒は近隣にある朝宮神社と共通しています。
和爾良神社は現在も論社が6社あり、これは尾張国の式内社の中でも最多を誇ります。おそらく一度荒廃して所在がわからなくなり、各地で再興した後裔社が複数現れたんでしょうね。

《駐車場と夜泣石》
和爾良神社の隣には大光寺がありますが、この夜泣き石はこちらにありました。この石を近所の人が庭石にしようと持ち帰ると、寺に帰りたいと夜な夜な泣いたんだそうです。いやー怖い。

《手水舎》
蛇口捻ると水が出ます。茹ってました。

《蕃塀》
尾張地方の神社ではよく見られる魔除けの塀です。正面から社殿に向かう悪い気などを逸らす目的があるそうです。

《祭りのポスター》
無事催行されたでしょうか?

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
この写真の左隅に「正五位道風」と刻まれた石碑があります。鳥居側にあった小野道風さんを祀る神社でもあり、この方の出身がこの春日井市であり、小野氏は元々和爾氏だったそうです。そこで出身地に道風さんを祀って差し上げようと、ちゃんと滋賀県大津市にある小野道風神社さんから勧請してきたそうです。

《社務所》
公民館を兼ねており、なんか習い事?みたいなことをやってました。

《遊具》
境内・文化財
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建保6年(1218)に上条城主の男坂孫九郎光善が朝宮の地にあって衰微していた和尓良神社をこの地に遷し、平素信仰する白山神を合祀して、和尓良白山社と改めて再建したという。
この和尓良神社は「延喜式」に所載の古社で、和尓氏は尾張氏より以前に当地方に県主的勢力のあった氏族で、春日氏の一派らしい。平安時代に衰亡した。
天正13年(1584)長久手の戦いの時、豊臣方の兵火により焼失したが、文禄4年(1595)林彦右衛門重登が再建した。これ以前にも織田家の内紛により再三火難にあっている。
寛文3年(1663)には尾張大納言光友が修理した。
明治40年10月26日、供進指定。
大正3年、火災にあい、翌年に再建。
昭和34年、秋の伊勢湾台風に被災、これを機にコンクリート造りに改造された。
昭和61年9月28日、社殿を大修理した。
飛地末社に大日社が王子町と上条6丁目の境にある。
11等級、指定村社
本殿 神明造
(『愛知縣神社名鑑』より)
| 名称 | 和爾良神社 |
|---|---|
| 読み方 | わにらじんじゃ |
| 参拝時間 | 参拝自由 |
| 参拝にかかる時間 | 約10分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | 手水舎の後ろにあり |
詳細情報
| ご祭神 | 《主祭神》 阿太賀須命 建手和爾命 《相殿神》 小野道風 |
|---|---|
| 創建時代 | 不詳 |
| 創始者 | 和爾氏 |
| 本殿 | 一間社流造 |
| ご由緒 | 建保6年(1218)に上条城主の男坂孫九郎光善が朝宮の地にあって衰微していた和尓良神社をこの地に遷し、平素信仰する白山神を合祀して、和尓良白山社と改めて再建したという。
|
| ご利益 | 家内安全五穀豊穣 |
| 体験 | 祭り伝説 |
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