りょうしゃぐうじんじゃ
両社宮神社(宮町)愛知県 春日井(名鉄)駅
いつでも
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楽しみ方
今回は地元の神社です。最近、今から50年以上前に毎日6年間通った小学校の隣に立派な神社があったのを思い出しました。当時は「両社の宮」と呼んで、学校帰りによく遊んでいました。今どうなっているかなあと気になり、行ってみることにしました。
あった! ありました! 当時のままです😄正式には「りょうしゃぐうじんじゃ」と呼ぶことを今回初めて知りました。
鳥居は木製です。当時はどうだったかは覚えていません。
道路を挟んだ手前に石鳥居がありました。これが一の鳥居でしょう。その向こうは道が途切れて雑草が生えています。
まだ新しい由緒書き。八幡社と熱田社が合わさって「両社」になったのですね。色々勉強になります。歴史は古く、背の高い杉や檜の森の中にあったのに、伊勢湾台風で全滅して植林したことは知っていました。当時は高さ2〜3m位の木がいっぱいだったのを覚えています。
鳥居の近くの新しそうな狛犬さん。何かカッコいい😍
参道を歩きました。近くに車を停める所がなく、かなり離れたスーパーの駐車場に停めて頑張って歩いて来たのに・・・
こんな広い駐車場が境内にあったなんて😰
それにしてもずいぶん木が成長したものです。50年後にタイムスリップした感じ。
手水舎、こんなに立派だったっけ?
可愛いカエルさん。
蕃塀。うん、これはあった。
この中でよく遊んでいました。調べたら祭文殿と呼ぶらしいです。
祭文殿の彫刻。当時からあったはずだけど。
こちらは拝殿です。
こちらでお参りしました。当時まともにお参りした記憶はありません。
拝殿の細かな彫刻。こちらの拝殿だけ江戸時代(1827)の改築で、後の本殿、祭文殿は昭和31年竣工だそうです。
そういえば、音楽の時間に先生に連れられて、拝殿前の岩に座ってみんなで笛を吹いたっけ。
本殿がチラッと見えました。
色々増えたものがあります。こちらは天満社。
お稲荷さん。
こういった摂社、末社が拝殿の周りにいっぱい出来てました。こういうのを神社が栄えるというのかな。何か嬉しいです。
仲睦まじい道祖神。あちこちにありました。
何かホッコリします。
木々の間から我が母校が見えました。校舎も当時のままです。思い出してよかったです。
この地は寛永17年(1640)頃より春日井原新田と呼び、慶安元年(1648)に現境内地の東北の方に八幡社(誉田別命)、慶安3年に熱田社を勧請したが、元禄3年(1690)に八幡社を熱田社境内に遷し、両社宮と名づけた。八幡社の跡地は神田とした。
棟札24枚を社蔵する。
明治5年、村社に列格。
明治40年10月26日、供進指定をうけた。
広い境内には樹木鬱蒼としていたが、昭和34年の伊勢湾台風により倒木損傷をこうむる。
末社に諸霊社(地域に尽くした人々の霊を祀る)あり。
6等級、指定村社
(『愛知縣神社名鑑』より)
| 名称 | 両社宮神社(宮町) |
|---|---|
| 読み方 | りょうしゃぐうじんじゃ |
| 通称 | 両社の宮・両社宮 |
| 参拝時間 | いつでも |
| トイレ | あり 矢印が出ています。 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| ご祭神 | 誉田別命、日本武尊、 大国主命 、 阿太賀田須命 、建手和爾命 |
|---|---|
| 創建時代 | 1648年(慶安元年) |
| ご由緒 | この地は寛永17年(1640)頃より春日井原新田と呼び、慶安元年(1648)に現境内地の東北の方に八幡社(誉田別命)、慶安3年に熱田社を勧請したが、元禄3年(1690)に八幡社を熱田社境内に遷し、両社宮と名づけた。八幡社の跡地は神田とした。
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