やくしじ|曹洞宗|鯏浦山
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
おすすめの投稿
大きな楠がそびえています。
かつて鯏浦城が建っていた場所です。
観音堂
西国三十三ヶ所観音霊場御砂踏
延命地蔵堂
薬師寺の大楠
かつてはこの付近は海岸線だったことから磯部の楠とも呼ばれていました。人々はこの楠の葉を用いて病気を治療していたとも伝えられています。
鯏浦城址
この碑は昭和51年(1976)に建てられたものです。
鯏浦城はこの付近に勢力を伸ばした服部左京亮率いる一向宗の服部党に対抗するために、織田信長が永禄8年(1656)に築いた城で織田信興が城主をつとめました。しかし元亀元年(1570)信興は小木江城(現、愛西市立田地区)にて服部党に攻められて殺されてしまいます。これを機に信長は、天正2年(1574)に大軍を送り込んで服部党門徒を攻め、ことごとく焼き尽くして滅ぼしたといいます。
歴史
かつて鯏浦城があったこの地に、城主であった織田信興(織田信長の弟)の御持仏をおさめる薬師堂が建てられる。
明治初めに薬師寺となる。
本堂前には樹齢600年以上ともいう大楠がそびえている。
かつてはこの付近は海岸線だったことから磯部の楠とも呼ばれ、人々はこの楠の葉を用いて病気を治療していたとも伝えられている。
大楠の下に現在は鯏浦城跡[市史跡]の碑が立っています。鯏浦城はこの付近に勢力を伸ばした服部左京亮率いる一向宗の服部党に対抗するために,織田信長が永禄8年(1656年)に築いた城で,織田信興が城主をつとめました。しかし元亀元年(1570年),信興は小木江城(現,愛西市立田地区)にて服部党に攻められて殺されてしまいます。これを機に信長は,天正2年(1574年)に大軍を送り込んで服部党門徒を攻め,ことごとく焼き尽くして滅ぼしたといいます。この碑は昭和51年(1976年)に城跡の大楠の下に建てられたものです。
名称 | 薬師寺 |
---|---|
読み方 | やくしじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0567-67-0971 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 薬師瑠璃光如来 20年ごとに開帳される秘仏 |
---|---|
山号 | 鯏浦山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
ご由緒 | かつて鯏浦城があったこの地に、城主であった織田信興(織田信長の弟)の御持仏をおさめる薬師堂が建てられる。
|
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
10
0