きよすさんのうぐう ひよしじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
清洲山王宮 日吉神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年02月13日(日)
参拝:2022年1月吉日
【尾張国 式内社巡り】
日吉神社(ひよし~)は、愛知県清須市にある神社。式内論社で、旧社格は県社。祭神は大己貴命、素戔嗚尊、大山咋神。別称は「清州山王宮」。
社伝によると、創建は光仁天皇の御代、奈良時代の771年に尾張地方に疫病が流行し、当地の人々が素戔嗚尊と大己貴命を併せ祀り、病災除去を祈願したのが始まり。平安時代に入り807年に橘逸勢が社殿を建立、伝教大師による天台宗の布教とともに神仏習合が進み「山王宮」と称されるようになった。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「尾張国 中島郡 針熊神社 小」の論社となっている。13世紀末には著しく興隆し、その後尾張国の国府が清州に移されてからは清州総氏神として信仰を集め、4千坪以上の境内地に荘厳な社殿を構えた。戦国時代の1580年、清州城代・織田信張は、近江国の日吉大社より大山咋神と摂社二十二社を勧請している。明治時代に入り、社名を「山王宮」から「日吉神社」に改称し、近代社格制度のもと県社に列格した。
なお、当社は戦国時代の三英傑とゆかりがあるとしていて、まず織田信長については当社神前での火起請(ひきしょう)という裁判に立ち会ったとしている。また、豊臣秀吉については生母の大政所が当社に子授け祈願をして授かったのが秀吉で、幼名を日吉丸と名付けたとしている。秀吉の妻・ねねは三十六歌仙の河川額などを奉納している。さらに徳川家康については、小牧長久手の合戦のおり清州に野営したが、軍兵が当社を焼き払ったため、合戦の後、徳川信雄により社殿を再建、のちに家康の四男・松平忠吉が清州城主となると、大々的に造営修復と社領の寄進を行ったとのこと。
当社は、名鉄名古屋本線・丸ノ内駅の北方500mほどの静かな住宅街、平地にある。緑で覆われた境内は包まれ感があって、大きな社殿を中心に、多くの境内社があるなど見どころが多い。やはり日吉神社というだけあって、特に神猿の像の印象が残る。
今回は尾張国の式内論社、愛知県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は平日の午前中で、大雨だったが、自分以外にも数名参拝者が訪れていた。
境内南端入口にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐった先にある<神橋>。その先には<神門>。
神門の先には、拝殿との間に<衝立>がある。「厄をさる福を招く 天下随一お申神社」は当社のキャッチフレーズ。
※この衝立、古社で時々見かけるけど、何という名称なのかな...?(。´・ω・)?
※この衝立、古社で時々見かけるけど、何という名称なのかな...?(。´・ω・)?
参道右手にある<神馬>。
参道右手、神馬の左隣にある<子産石(こうみいし)>。清須市朝日出身の豊臣秀吉の生母・大政所がこの子産石に触れ祈願し秀吉を授かったため、幼名を「日吉丸」と名付けたとされる。
参道の右手、子産石の左隣にある<はきだしまいり 清祓所>。
参道の左手にある<手水舎>。
手水舎の右後方奥にある境内社と石仏。<覚*霊神>と書かれた石碑がたくさん立っている(*に入る漢字はすべて異なる)。
当社(当地)独特の信仰や風習など何かがありそう(当社HPには解説なし)。
当社(当地)独特の信仰や風習など何かがありそう(当社HPには解説なし)。
さらに右隣にある境内社。左隣と同様、山岳信仰系の境内社かな。
参道中央から<拝殿>を望む。
参道両側に<鉄製の篝火(かがりび)>。そういえば、伊賀國の式内社ではよく見掛けたけど、尾張國から伊賀國にかけての独特なものなのかしら。(。´・ω・)?
拝殿前右側の<神猿>。立派な台の上に載っている。
拝殿前左側の<神猿>。知り合いの誰かに似ているかも...(^_^;)
<拝殿>正面。構造的な壁や仕切りはない造り。
参道を少し戻って、参道右側にある<神楽殿>。
神楽殿の後ろには境内社があり、同じ形をした社殿が21並んでいる。
神楽殿の壁に、21境内社の細かい説明がしてある。摂社と末社があるみたい。(この配慮が素晴らしい!)
神楽殿脇の石鳥居からスタートする<山王稲荷社>への参道。
<山王稲荷社>の覆屋。
覆屋内に<山王稲荷社>の社殿が鎮座している。
ただ、山王稲荷社の覆屋の左隣に別の鳥居が。
鳥居の扁額からすると、社名は同じ<山王稲荷社>みたい。こちらは社殿は小さめ。
神楽殿まで戻って、神楽殿から見た<拝殿>。外側に大きな絵画が見える。
2004年(平成16年・申年)に水墨画家・井上北斗氏により神前にて描かれ奉納された巨大絵馬。サイズは畳約8畳大とのこと。
拝殿後ろの<祭文殿>(呼称は不明だが本殿ではない)。拝殿と祭文殿との間が回廊で繋がっていないので「尾張造」とは言わないと思われる。
祭文殿後ろの<本殿>。拝殿、祭文殿に比してサイズは小さめ。
祭文殿の左側(西側)にある<社務所>。御朱印はこちら。
最後に<社殿>全景。
最後に<祭文殿>全景。
駐車場脇にて、きれいに咲いた椿。当社ではかつて「弘法大師お手植えの椿」があったが現存せず、新たに椿が植えられ結び絡み合う様から「連理の椿」と呼ばれているとのこと。(^▽^)/
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。