いふりべじんじゃ
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伊冨利部神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主祭神》 若都保命 《配祀神》 誉田和気尊 | |
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ご神体 | 不詳 | |
創建時代 | 延暦13年(794年)~弘仁元年(810年) | |
創始者 | 不詳 | |
ご由緒 | 延喜式(905~927年)神名帳に葉栗の一座伊冨利部天神と記載されている所謂式内社で、当地の豪族伊福部一族が祖神である若都保命を創祀したのが起源である。創建年月は詳らかではないが、延暦13年(794年)~弘仁元年(810年)のおよそ1200年前に創建されたものと思われる。若都保命は天孫瓊瓊杵命の御子なる天火明命九世の御孫、弟彦命の御弟神に座します。延喜式神祇巻九に葉栗群十座の内伊冨利部神社、本国帳に従三位伊冨利部天神と載録されている。 | |
歴史 | 歴史[編集] 伊冨利部氏(伊福部氏)に関わる神社である。一説によると、伊冨利部氏は大和国葛城山より尾張国のこの地域に移り住み、祖先を祀ったという。672年の壬申の乱では尾張国の伊冨利部氏は大海人皇子に協力していることから、伊富利部神社はそれ以前と推測される。 平安時代後期以降、八幡信仰の影響により誉田別命を合祀、正八幡宮と改称している。かつては周囲1里の大規模な神社であったというが、1455年(康正元年)社殿が焼失する。境内も縮小される。その後、1556年(弘治2年)に現在地に遷宮され、1582年(天正10年)黒田城城主沢井雄重(織田信雄の家臣)が再建し、黒田城の守護神とする。1874年...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「伊富利部神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BC%8A%E5%AF%8C%E5%88%A9%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=97229822 |
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