わかみやしんめいしゃ
若宮神明社の御由緒・歴史
ご祭神 | 若宮神明社は天照皇大神、素戔嗚尊の二柱。 皇大神宮荒御魂社(通称 白金龍王社)は神宮荒御魂です。 | |
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創建時代 | 創建不詳ですが、遅くとも文禄年間(1593-1596)に存在した記録はあります。 | |
ご由緒 | 若宮神明社 五等級 【創建】文禄年中(1593年~96年頃)後陽成天皇(第百七代)の時代 【御祭神】 天照皇大神 素戔嗚尊(合祀) 【境内末社】 豊受大神宮 秋葉神社 白金龍王社 万度御祓社 創建月日は不詳であるが後陽成天皇の時代文禄年間と云われている。文禄年間に木曽川堤が幾度か決壊氾濫し、住民大いに困窮に至る為、伊勢神宮大麻を奉斎し、万度の祓いを治めたところ川瀬変じて田畑になったと云う。万度社は此の時の決壊箇所とも云われる。住民は此の神宮の御稜威を仰ぎここに神明社を建立し奉祝したものと伝えられる。 其の後にも、明治年間の美濃方面からの大竜巻が木曽川を超えて襲来したが、当神社付近にて消滅し事無きを得たことや、大東亜戦争末期の米軍による一宮一帯の大空襲においても、数十発の大型焼夷弾が投下されたが、一発として発火することなく不発に終わり火災を受けたものは一戸もなかった事、当神社に落下した爆弾も不発に終わった事は大きな奇跡であり、氏子崇敬者一同の崇敬の念が高まり奉賛会を組織することとなった。 また本神明社と伊勢の神宮とは殊の外関係が深く、御厨地として毎年上納してきた。神宮式年遷宮の御用材御神木の筏船着場ともなっており、御送迎の祭典を熱心に執り行ってきた。昭和二十九年第五十九回式年遷宮の際には御用材古材を拝領し、其の中には別宮滝原宮の大鳥居があった為、神明社の西側木曽川堤防に伊勢神宮遥拝所を建設し御神徳を仰ぎ奉った。 神社格の歩み 昭和十九年 村社神明社から若宮神明社に社名変更 昭和二十二年 七級社に決定 昭和二十六年 五級社に昇級 |
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