御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

ななつでら|真言宗智山派稲園山

七寺(長福寺)の御由緒・歴史
愛知県 大須観音駅

ご本尊聖観世音菩薩・大勢至菩薩
創建時代天平七年(735)
開山・開基行基
ご由緒

正式名称は稲園山正覚院長福寺といいます。
天平7年(735)僧行基により尾張国中島郡萱津の庄に開創。七寺の呼称は延暦6年(787)紀是広が七堂伽藍を建立したことに由来する。稲沢、清州を経て、慶長16年(1611)家康公の命を受け当地に移転、諸堂整備され尾張徳川藩の祈願所として栄える。
太平洋戦争で諸堂が焼失してしまう。
本尊は阿弥陀如来であったが、戦災で焼失したため、脇侍の観世音菩薩と勢至菩薩を祀る。
(名古屋廿一大師霊場巡拝マップより)

歴史
歴史[編集] 創建[編集] 寺伝によれば、天平7年(735年)、行基によって尾張国海東郡萱津(現在の愛知県あま市)に開かれたのに始まる。当時の寺名は正覚院と称した。 延暦6年(787年)12月、紀是広が7歳で亡くなった我が子を弔う為に7区の仏閣と12の僧坊からなる七堂伽藍を建立したことから、以後、これに因んで七寺と呼ばれるようになった。七堂伽藍は仁和3年(887年)の水害や天慶4年(941年)の兵火により荒廃したが、仁安2年(1167年)、勝幡城城主・尾張権守大中臣安長が娘の菩提を弔うため、婿であった豊後守親実と共に計らって寺を現在の稲沢市七ツ寺町に移し、七堂伽藍と12僧坊を再建した。 ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報長福寺 (名古屋市中区)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%95%B7%E7%A6%8F%E5%AF%BA%20%28%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E4%B8%AD%E5%8C%BA%29&oldid=102226553

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ