あさひじんじゃ
朝日神社のお参りの記録一覧
前回はタイミングが悪くご不在で御朱印をいただくことができなかったので、再度参拝しました。
朝日神社さんは伊勢神宮の神領地だったそうです。
清洲城下の朝日郷に鎮座されていて、豊臣秀吉公の妹で徳川家康公の正室 朝日姫の氏神でした。
1610年 徳川家康公の名古屋開府の大号令が発せられると、名古屋城下の中心地(現在地)へ移築遷座されます。
1660年の大火後、防火帯として広小路通が誕生しました。
そこに露店や芝居小屋が軒を並べ城下一の賑わいとなり、参拝者も多かったそうです。
現在は規模が小さいながらも緑に溢れていて、また境内社も多く参拝のしがいがありました。
(写真は前回参拝した際のものも含まれます🙏💦💦)
栄に用事で行った際にお参りしました。
直書きで拝受しました。
通常の御朱印です。
社号標と正面の鳥居です。
大通りに面しています。
手水舎の吐水口は龍。
大きめの龍ですが、金網で防護されています。
拝殿前の様子。
少し段数のある階段があってすぐに拝殿という配置。
朝日神社の特徴の一つ「蕃塀」です。
引き回される罪人を神様に見せないように設置されたと言われています。
有形文化財に指定されている建造物です。
蕃塀の傍には大きな木がそびえています。
こちらは今後改装や修繕の際に伐採されてしまう可能性がある模様。
大変残念です。
ここにもひょっこりおかげ犬。
お伺いした様な気がするのですが、未投稿でしたので改めて参拝です。
公孫樹龍神社
イチョウ=公孫樹です。
秋葉社
金刀比羅社
天神社
塩釜社
春日社
戸隠社
八幡社
御朱印は直書きです。
落語会のあと少し足を伸ばしました。
オフィス街ですが休日のせいかひっそり。
御朱印を頂く間、
由緒書きを読んだり、
奥にあるお稲荷さんにもお参りしました。
他に誰もいなかったせいか
とても丁寧に書いてくださいました。
オフィス街に急に現れる!
脇道を入ったところ。お稲荷さん。
達筆です(^^)
オフィス街の真っ只中にある神社です⛩️
元は清洲城下の朝日郷にあったので、朝日神社というのですが、徳川家康公が名古屋開府の大号令の折、現在の場所にご遷座されたそうです。
合わせて朝日郷にあった氏神三社も一緒に遷座したので清洲の人々はこぞって移住したそうです。
1660年に名古屋城下で大火災があったため、防火帯として広小路通ができ、その沿線上にあった朝日神社は、当時城下一参拝者の多い神社だったそうです。
江戸時代からある意味こちらはオフィス街だったんですね!
社標
鳥居
由緒書き
境内
撮り忘れてしまいましたが、左の建物にお神輿があります!
手水舎
拝殿
末社
朝日稲荷明神
お稲荷さん🦊
朝日神社の御朱印です!
令和元年11月、名古屋市中区の朝日神社⛩️
地下鉄栄・伏見両駅から徒歩5分の錦3丁目、広小路通沿い👣
元は清洲城下の朝日郷に祀られており、豊臣秀吉の妹・朝日姫の氏神だったそう。
この日最後の参拝となったこちらで、御朱印をいただきました🖌️
拝殿
名古屋にさようなら~(^_^)/
おまけ。駅そば、じゃなく駅きしめん🍜
那古野神社で御朱印を頂いた後、
中区五社巡りを終えようと、若宮八幡社まで歩いていました。
途中で地図を確認すると
中区五社巡り
(いくつかの神社の中から五社以上の御朱印を頂いて、若宮八幡社へ行くと特別な御朱印がもらえる)
の内の一つが、通っていた道のすぐ近くにありました。
これは、この神社にも縁があるのかな♪
と、参拝させてもらいました。
社務所では、
境内に植えてある銀杏の木について話をしてもらえました。
銀杏には雌の木と雄の木があって、
社務所の向かい側にある木だけ雌の木なんだそうです。
・その木は、日銀のある所から移した物だから金運が良くなるかも
・雌の木で、枝が垂れ下がっている事から、母乳が出る→安産や子授けのご利益がある
ということでした。
ご利益があると思うから、銀杏を拾って持って帰ると良いよ!
と言って貰えたので、
臭いを防ぐ為のビニール袋も数枚貰い
いくつか拾わせていただきました。
朝日神社
御朱印
朝日神社の境内にある「公孫樹龍神社」について宮司さんが詳しく話してくださいました。
公孫樹=いちょうと読みます。
『昔、境内に大きな公孫樹があったが戦後の整備でこの木を切ることになった。
庭師さんに切ってもらうことにしたが、どの庭師も樹が大きすぎてうまくいかない。
すると、この話を聞いたという木こりの老夫婦がやってきて自分たちが切ると名乗り出た。
腰に巻いた縄でどんどん公孫樹の木に登っていき、上から少しずつ輪切りにするように切っていった。
すると、中から真っ白い蛇が出てきてどこかへ去っていった。
これは縁起のいいこと、神様に違いないと皆湧きあがった。
後日、氏子の一人の夢に白蛇があらわれ「住処がなくなってしまった」と訴えたことから、境内に「公孫樹龍神社」が建てられた。』
公孫樹は葉に水分が多く、放火の役割として多くの神社に植えられているそうです。
大火にあった朝日神社が、水の神様の使いとして公孫樹に住んでいた蛇を龍神社にお祀りするのもうなづけます。
余談ですが、名古屋の桜通りも、大火の教訓からか街路樹はイチョウが並んでいます。
宮司さんの話では、桜通りは「桜並木の通り」ではなく「桜天神の通り」という事であとから桜も植えられるようになったとのことでした。
桜天神社も機会があれば行ってみたくなりました。
<公孫樹龍神社>
一番手前が公孫樹龍神社。奥は境内社。
秋に公孫樹の葉が落ちる頃は、毎日ゴミ袋いっぱいに掃き集められ、多い時は45袋以上になるそうです。
<昇龍みこし>氏子じゃなくても担げるお神輿!申し込むと地元のお祭りや行事にも貸し出していただけるそうです。中日ドラゴンズの応援や、ロサンゼルス市リトル東京主催第60回II世週祭グランドパレードにも参加しているそうです。 詳しくはHPで(笑)
名古屋の中心地にある神社。泊ったホテルの徒歩圏内に神社があるとわかり、朝、散歩がてら参拝しました。
宮司さんから、朝日神社の歴史、名古屋の歴史、名前の由来など、興味深い話をたくさん聞けてとても良い時間でした。
すぐ隣が交番でして、とても治安のいい神社だと思います(笑)
神社の入り口は広小路通りに面しています。
<由緒書>
<道路側の案内>1660年の大火によって広い範囲で街が焼け、防火のために道を大幅に広くしたことから「広小路」となったそうです。
もともと朝日神社はもっと広い境内だったそうですが、この道路拡張で後ろに下がり境内も少し狭くなったとのこと。
<境内>高いビルとビルの間ですが、両側のビルに日が当たって明るい雰囲気です。
<手水舎の柄杓>名古屋っぽい。
<拝殿>提灯には名古屋の有名企業の名前がたくさん並んでいます。
拝殿の左側にお稲荷さん
凛々しいきつね様
左が朝日稲荷社、右は͡͡兒宮(ちごのみや)社と子守(こもり)社。
授与品の数々
<不浄除け>江戸中期に建てられた透かし塀。神社の斜向かいに尾張藩の牢屋敷が在り、引立てられる罪人を神様に見せないように建てられたものだそうです。手前に並んでいるのはおまわりさんの自転車。全部で8台ありました。繁華街だから配置人数多そうだなぁとか思いながら撮影しました(笑)
<御朱印>
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