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名古屋東照宮のお参りの記録(1回目)
愛知県丸の内駅

投稿日:2026年06月26日(金) 22時08分00秒
2017年4月28日に初めて参拝させて頂きました。
外堀通りの南側、那古野神社と並んで鎮座しています。
名古屋東照宮がたくさんの方々がお詣りされており、由緒や歴史もご存じだと思いますが、改めて確認するように読んでください。
名古屋市史社寺編(大正4年版)に拠りますと、
元和5年(1619年)、徳川家康の息子である徳川義直が三之丸の天王社の西隣りの地を占いで選定し、家臣の成瀬正成と竹腰正信を奉行として社殿を造営し、南光坊天海を導師として家康の神像を奉安しかつ神衣、甲冑、弓箭、太刀を納め、、日增院權僧正珍祐を別当としたそうです。
元禄元年(1688年)に藩主光友が改修し遷宮したとのことです。
東照宮は下記年度のごとく修繕が行われたようです。
寛文4年(1664年)、正徳4年(1714年)、元文5年(1740年)、天明7年(1787年)、寛政7年(1795年)、慶應元年(1865年)
明治8年(1875年)にもと明倫堂のあった跡地に仮遷座し、翌9年(1876年)に正式遷宮を行ないました。
名古屋市史社寺編は歴史としてはここまでしか記載されていませんでした。
あとウィキペディアに拠りますと、
東照宮を造営した時、神宮寺である天台宗尊寿院も建立されたそうなので、日增院權僧正珍祐は尊寿院の別当に任命されたのでしょう。ただし、明治3年(1870年)の神仏分離令によって尊寿院は廃寺となりました。
明治8年(1875年)に名古屋城内に名古屋鎮台を置くこととなり東照宮は隣りの亀尾天王社とともに旧藩校明倫堂の跡地に移築&遷宮されました。
昭和20年(1945年)、名古屋大空襲により焼失してしまいました。
昭和28年(1953年)に建中寺から高原院(藩祖義直の正室春姫)の御霊屋を移築して本殿として再興しました。
空襲により焼失した本殿は江戸時代の間、火事に遭っていないようなので元和5年(1619年)建造のものであったと思われます。
昭和28年(1953年)に新本殿として移築された御霊屋は慶安4年(1651年)に萬松寺に建てられ、大正3年(1914年)に建中寺に移築されたものです。
名古屋東照宮の御朱印
2017年4月28日にお詣りした時に頂きました。
名古屋東照宮の御朱印
2019年5月29日にお詣りした時に頂きました。
名古屋東照宮(愛知県)
2019年5月29日撮影
東照宮の銅葺き鳥居です。今は緑青色ですが、できた当時は赤銅色で輝いていたのでしょうね。
名古屋東照宮(愛知県)
2019年5月29日撮影
木板に書かれた東照宮の由緒記です。
名古屋東照宮(愛知県)
2019年5月29日撮影
名古屋市教育委員会の作成した東照宮の説明板です。
名古屋東照宮(愛知県)
2017年4月28日撮影
本殿前の中門ですが、名古屋東照宮では唐門と呼ばれているようです。
名古屋東照宮(愛知県)
2019年5月29日撮影
本殿前の唐門です。両側から本殿を囲むように透塀が出ています。
名古屋東照宮(愛知県)
2019年5月29日撮影
神楽殿です。
名古屋東照宮(愛知県)
2019年5月29日撮影
本殿です。老朽化のため風雨から守るために軒下の周りに防風壁を設けています。
名古屋東照宮(愛知県)
2019年5月29日撮影
本堂を斜めから写しました。今の本殿は建中寺にあった義直の正室春姫の御霊屋を移したものです。
名古屋東照宮(愛知県)
2020年11月3日撮影
福神社から透塀と通しての本殿です。
名古屋東照宮(愛知県)
2019年5月29日撮影
東照宮の末社の福神社の石鳥居と狛犬です。
名古屋東照宮(愛知県)
2019年5月29日撮影
福神社の神祠です。
名古屋東照宮(愛知県)
2019年5月29日撮影
福神社の由緒板です。

すてき

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