とべじんじゃ
富部神社愛知県 鶴里駅
参拝/24時間
社務所/9:00~15:00
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方清洲城主 松平忠吉公が病気平癒の祈願を行い回復したことから、本殿などの建物が寄進されました。
名古屋市内の神社建築で唯一の国の重要文化財です。
桜の時期にお参りでした。
観桜祭終わってすぐの事、社務所にて、、、。
肝心の桜咲きにはまだ早かったと総代さんが嘆いておられました。
今月の御朱印、
今日は書の先生が書かれまして、レアな御朱印となりました。
花にらの青花
手水舎、かつての空襲の時は、手水舎まで爆撃で焼失止まって本殿までは業火行かなかったと総代さんが仰っていました。
銀杏の大木も空襲被害に遭っていないので残っているとのこと。
本殿前のしだれ桜です。
まだ蕾もありますが、色がついていてとても綺麗です🌸
離宮梅(りきゅうばい)
陽光桜(ようこうざくら)
少し風が吹くと、陽光桜🌸が舞い散っています🌪️
1月1日 歳旦祭
2月17日 祈年祭
4月10日 金毘羅社 例祭
5月10日 龍王社 例祭
6月17日 八王子社 居森社 例祭
7月16日 茅の輪くぐり(除疫祭)
10月体育の日前日 例大祭
11月23日 新嘗祭
12月16日 秋葉社 例祭
12月31日 大祓
毎月1日 月次祭 (毎月1日には月次祭を10時半よりスタート)
富部神社は慶長8年(1603)、愛知県津島市に鎮座する津島神社から勧請されたことに始まります。その後慶長11年(1606)、清洲城主松平忠吉(徳川家康四男)が病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建されました。その後代々の藩主による崇敬篤く、江戸時代を通して尾張藩の国印地として毎年百石が寄進され、営繕は藩主により行われています。なお、天保12年(1841)『尾張名所図会』「蛇毒神社」に、当時の境内の様子を詳しく見ることができます。創建以来、「富部蛇毒神天王」「蛇毒神天王」「蛇毒神社」などと呼ばれていましたが、明治に入り現在の「富部神社」と改称され現在に至ります。牛頭天王と同様に素戔嗚尊と同体とされ、疫病退散の神として信仰されています。桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車(高砂車)は名古屋市指定有形文化財に指定されています。
住所 | 愛知県名古屋市南区呼続4-13-38 |
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行き方 |
名鉄名古屋本線「桜駅」下車 徒歩10分
車で来られる方は、
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名称 | 富部神社 |
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読み方 | とべじんじゃ |
参拝時間 | 参拝/24時間
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参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 社務所の後方 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 052-821-2909 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.tobe-shrine.org |
おみくじ | あり |
SNS |
第二弾 名鉄御朱印めぐり |
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ご祭神 | 《主》素戔嗚尊 |
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創建時代 | 慶長8年(1603) |
文化財 | 【重要文化財】本殿
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ご由緒 | 富部神社は慶長8年(1603)、愛知県津島市に鎮座する津島神社から勧請されたことに始まります。その後慶長11年(1606)、清洲城主松平忠吉(徳川家康四男)が病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建されました。その後代々の藩主による崇敬篤く、江戸時代を通して尾張藩の国印地として毎年百石が寄進され、営繕は藩主により行われています。なお、天保12年(1841)『尾張名所図会』「蛇毒神社」に、当時の境内の様子を詳しく見ることができます。創建以来、「富部蛇毒神天王」「蛇毒神天王」「蛇毒神社」などと呼ばれていましたが、明治に入り現在の「富部神社」と改称され現在に至ります。牛頭天王と同様に素戔嗚尊と同体とされ、疫病退散の神として信仰されています。桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車(高砂車)は名古屋市指定有形文化財に指定されています。 |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り重要文化財祭り |
概要 | 富部神社(とべじんじゃ)は、愛知県名古屋市南区呼続にある神社。戸部天王、蛇毒神天王とも呼ばれていた。 |
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歴史 | 由緒[編集] 創建は慶長8年(1603年)、清洲城主松平忠吉が今より西にあった素盞嗚尊を祀る祠を現在の地に移したとも、津島神社より牛頭天王を勧請したともいわれる。 松平忠吉が病に悩まされていた時、富部神社に祈願したところ回復した。その報恩のしるしとして慶長11年、本殿、祭文殿、回廊、拝殿を建て、神社の東に神宮寺として海雲山天福寺を建て、社領100石を寄進した。 明治になると神仏分離令により天福寺は廃され、本社は祭神を素盞嗚尊とし存続した。明治11年(1873年)、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、菊理姫命を合祀。 戸部政直の碑が移転された。 |
アクセス | 交通[編集] 名鉄名古屋本線 桜駅から徒歩で約10分。 名古屋市営地下鉄桜通線 桜本町駅から徒歩で約15分。 |
引用元情報 | 「富部神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AF%8C%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98007692 |
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