きりしまみねじんじゃ
霧島岑神社宮崎県 広原駅
9:00~17:00
今日の最後は小林市にある霧島岑神社様へ。こちらは瓊瓊杵尊を主祭神としてお祀りしています。創建は不詳とされていますが、高千穂峯の中腹に鎮座され、文歴元年(1234年)に現在の地に遷宮されました。こちらの特徴は鳥居前に狛犬ではなく仁王様が鎮座されているのが大きな特徴だと思います。
【日向國 式内社巡り】
霧島岑神社(きりしまみね~)は、宮崎県小林市細野にある神社。式内論社で、旧社格は県社。祭神は瓊々杵命、木花咲耶姫命、彦火々出見命、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合命、玉依姫命(皇祖・日向三代とその配偶神)。旧称は「霧島山中央六所権現」で、霧島六所権現の1社(2/6)。明治時代に別の霧島六所権現である夷守神社(旧称「夷守六所権現」)を合祀している(3/6)。
創建は不詳。国史の初見は『続日本後紀』837年条に「日向國諸県郡霧島岑神」が官社に預かり、神階奉授の記載がある。『日本三代実録』858年条でも神階奉授の記載がある。また927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 諸県郡 霧島神社 小」の論社となっており、他の論社として東霧島神社(宮崎県都城市)、霧島東神社(宮崎県西諸県郡高原町)、霧島神宮(鹿児島県霧島市)がある。社伝によると、天慶・天暦年間(10世紀中頃)、性空上人が当社に参籠の折、山麓四方に夷守神社他4社を創建し、当社を合わせて霧島六所権現と称したという。1112年の韓国岳噴火、1167年の大幡山噴火、1234年の火常峰(御鉢)噴火、1716年の新燃岳噴火と続き、その度に遷座と社殿再建を繰り返し、1729年に夷守岳中腹に社殿を再建、明治初頭まで鎮座した。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格し、夷守神社を合祀して、夷守神社跡地に遷座して現在に至っている。
当社は、JRえびの高原線・広原駅の北西2.5kmの農耕地帯の外れの平地の小高い場所にある。県道104号線から少し逸れると森の入口が境内入口で、緩やかな傾斜のある樹木のトンネルを抜けると、空がぽっかり空いた社殿周りに辿り着く。社殿周りには数社の境内社と社務所のみがある。由緒を読む限り、霧島六所権現の中心的な神社だが、境内の造りからすると最も普通の神社(他がそれぞれかなり特徴のある神社とも言える)。
今回は、日向國の式内論社、宮崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分たち以外にも何組か、家族連れなどの参拝者が訪れていた。
境内東方入口の<一の鳥居>と<社号標>。一の鳥居はやや縦長のバランスが面白い。
境内東端入口全景。深い森の中に穴が開いている感じ。
参道入口アップ。両側に<石造仁王像>が立っているのが特徴的。
左側の<阿形仁王像>。石で作るのは大変かも。
右側の<吽形仁王像>。
参道入ってすぐ左側にある<手水舎>。
参道は石の登り坂。緩やかに、でも確実に登って行く。
やがて森の終わりに<二の鳥居>。
参道左側の境内社。左右にある門の守護神。こちらは<豊磐間戸神>。
参道右側の境内社。こちらは<櫛磐間戸神>。左右とも、内部には<随神像>と思われる人形が飾られている。
空が開けた明るい場所に出てすぐ右側にある二つ目の<手水舎>。
手水盤のこの苔の生し方は見事~♪ (o^―^o)
<拝殿>全景。向拝の左側に比べ右側が大きいアシンメトリーな造形は珍しい。
<拝殿>内部。御輿も太鼓も飾られている。とてもきれいにされている。
拝殿から振り返って境内全景。参道の暗さと境内周りの明るさのコントラストが非常に大きい。
拝殿後ろの<本殿>は瑞垣で囲われている。その手前には境内社<豊受大神
>。
拝殿の右側からも同じ造り。瑞垣手前には同様に境内社<大山祇大神>がある。
幣殿の右側にある境内社。社の内部には<天照大御神>の神符が置いてある。
拝殿に向かって右後方にある<社務所>。御朱印はこちら。
拝殿に向かって左後方にある<風鈴オブジェ>。小林市のプロジェクトみたい。
とってもカラフルな風鈴がかなりキレイ~♪
二の鳥居の左手、少し小高いところにある<繭神社>の鳥居。
<繭神社>の社殿。当地付近でも養蚕業が栄えていたのかな?(。´・ω・)?
繭神社の左側にある境内社。片側だけ壁がある不思議な建物。HPによると<馬頭神社>で、馬頭観音を祀っている。
境内社の<社殿>。扁額や表札はない。
最後に<社殿>全景。歴史的には霧島六所権現の中で最も力があったみたい。(^▽^)/
霧島は、噴火を繰り返す自然の厳しさの象徴として山岳信仰の場として日本有数の霊場であり、、霧島で修行をする修験者たちの拠点となったところ、霧島岑神社は、性空上人が開いた(整備した)霧島六所権現のひとつです。
当時 霧島岑神社は高千穂峰中腹(高千穂峰-御鉢の鞍部にある、せたお(脊門丘・瀬多尾等の文字をあてる。)に座し霧島中央権現宮とも呼ばれていた。
鳥羽天皇の天永3年2月3日、「御鉢」が噴火、社寺共に焼失。その後、高千穂峰-矢岳間等(新瀬戸尾、岡原、夷守岳中腹)など、霧島噴火に伴うたび重なる焼失で、各所に遷座、1873年(明治6年)に現在の場所に遷されたもの。
1874年(明治7年)に同じく六所権現の一つ「夷守(ひなもり)神社」と合祀、現在の霧島岑神社となっている。
島津義弘が飯野城に居た頃は、特に当社を敬仰、度々参拝したという。
当時は霧島中央権現の名が高く参拝の徒が四方から雲集したが夷守岳へ遷宮の後漸く少くなったという。
出展元:現地案内板より。
1月1日 歳旦祭
1月3日 元始祭
2月3日 節分祭
2月11日 紀元祭、建国祭
3月18日 祈年祭
3月春分の日 春季皇霊祭
5月8日 馬頭観音祭
6月30日 夏越祭
9月26日 彼岸祭
9月秋分の日 秋季皇霊祭
11月18日 例大祭
11月23日 新嘗祭 小林市秋祭り 豊年祭
12月31日 大晦日の祓へ 除夜祭
名称 | 霧島岑神社 |
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読み方 | きりしまみねじんじゃ |
参拝時間 | 9:00~17:00 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
ご祭神 | 《主》瓊瓊杵命,木花咲耶姫命,彦火火出見命,豊玉姫命,草葺不合命,玉依姫命 |
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ご由緒 | 創建は、文字のない時代であり、日本最古の歴史的神社と言われてる。太古霧島の高千穂の峰の中腹に鎮座され、文歴元年大噴火等で遷座。 |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り |
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