あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
おすすめの投稿
記紀旅で初めて参拝
霧島東神社は、高千穂峰への中腹、標高500メートルの高台に鎮座。創建は 第10代 崇神天皇の代、と言われ、ニニギノミコトが天孫降臨された際に、初めて祖先の神々を祀ったところと伝えられている。
〔主祭神〕 伊弉諾尊・伊弉冉尊
霧島東神社は、噴火を繰り返す自然の厳しさの象徴として山岳信仰の場としても日本有数の霊場であり、霧島で修行をする修験者たちの拠点となったところ、性空上人が開いた霧島六所権現のひとつ(霧島東御在所権現社 別当・錫杖院)となっていた。
現地案内板の説明文
伊邪那岐尊(イザナギノミコト)・伊邪那美尊(イザナミノミコト)を主祭神として祀り、第十代崇神天皇の代に霧島山を信仰の対象とする社として創建されたと伝わる。天暦年間(947~957)に天台宗の僧、上空上人が神社のかたわらに別当寺である、錫杖院を建立し、霧島六社権現のひとつとして霧島山で神意仏心を崇める修行を行う修験者たちの拠点となった。当時は霧島山大権現東御在所之宮と呼ばれ、霧島修験の興隆に伴い社寺ともに栄えた。
度重なる霧島山の噴火により、復興造営を重ねており、現在の社殿は享保12年(1722)の造営により、幾度かの改修を経て今に至る。殿内奥には雌雄一対の龍柱が祀られ、正面には寛文6年(1666)薩摩藩主島津光久公寄進の「東霧島坐 [霧島の東に坐(いま)す]」の扁額が納められている。
時間と健脚をお持ちなら、ぜひこの神社の社宝である、高千穂峰山頂(標高1574m)にある「天の逆鉾(あまのさかほこ)」を見に行って下さい。神社の裏から登山道がありますが、高千穂までは約3時間半ほど。
時間の都合上今回は泣く泣く断念しました。
御池は、約4.600年前におこった噴火の火口に、地下水が溜まって出来た、直径約1km周囲3.9kmのほぼ円形の火口湖。霧島東神社は、この湖の西北に位置します。
霧島山岳信仰の基盤を作った性空上人(しょうくうしょうにん)が、この池のほとりで修業をしている際に、九頭の神龍が現れ、宝珠を渡したという言い伝えがあり、また、神武天皇が幼少の頃、皇子港の水辺で遊んだという伝説も残っています。
鳥居を潜るとまず右手にあるのが、龍神の安息地として伝えられている神龍の泉「忍穂井」。社の中に泉があり、常に水を湛えていて、看板には、『この池は龍神の安息池にして太古より霊泉として効験あらたかなり されど東方よりこの池に女人の影が映ずれば 忽ち異変ありと伝へらる (一名 鏡井ともいう)』とあります。
つい中を覗き込みたくなりますが、女性は覗き込んではいけないとされていますので注意しましょう。
深い鎮守の森の中、厳かな雰囲気が感じられる石段参道を上がっていくと、神門の前に一対のご神木があります。かなり樹齢があると思われる杉の木には注連縄が飾られ、そこから拝殿までは一直線上で、一気に見る事が出来ます。更に反対を向くと眼下に御池が。
参道をまっすぐ歩き、最上段の境内には朱塗りの柱と白く塗られた壁の荘厳華麗な拝殿あります。度重なる霧島山の噴火により、復興造営を重ねていて、現在の社殿は享保12年(1722年)の造営により、幾度かの改修を経て今に至っています。
【日向國 式内社巡り】
霧島東神社(きりしま・ひがし~)は、宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田にある神社。式内論社で、旧社格は県社。主祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、相殿神は天照大御神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鵜葺草葺不合尊、神日本磐余彦尊。旧称は「霧島東御在所権現」で、霧島六所権現の1社(5/6)。
社伝によると、第10代崇神天皇の御代(紀元前97年~紀元後30年)の創建。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 諸県郡 霧島神社 小」の論社となっており、他の論社として霧島岑神社(宮崎県小林市)、東霧島神社(宮崎県都城市)、霧島神宮(鹿児島県霧島市)がある。天暦年間(947年~957年)に天台僧・性空上人が高千穂峰の周囲6カ所に鎮座する神社の傍らに別当寺を建立し、のちに霧島六所権現、霧島修験と呼ばれる神仏習合の霊場として開山した。当社は「東御在所之宮」と称し、別当寺として錫杖院を有し最盛期には360名以上の山伏行者を擁した。度重なる霧島山の噴火に社寺造営を重ね、室町時代の1486年の造営の際、圓政法院を中興として真言宗に改め、以降24世の別当職が続き、南九州最大の修験道根本道場として崇敬を集めた。明治に入り神仏判然令、修験道廃止令により錫杖院を廃止し、社名を現社名に変更した。近代社格制度のもとでは県社に列格した。
当社は、JRえびの高原線・高原駅の南西5kmあまりの霧島山の中腹、高千穂峰の東方4kmの場所にある。境内はコンパクトだが、社務所や駐車場からは眼下に御池を中心にした美しい風景が広がり、そこから軽く林間を登って社殿に辿り着くと神聖な空気がたちこめていて、かつて修験者が多く集まっていたのにも納得ができる。
今回は宮崎県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の夕方で、遅い時間にも関わらず、何組もの参拝者がぱらぱらと訪れていた。
境内東端入口全景。長いくねくね山道の突き当りにある。
参道右側に社務所などの建物が並んでいる。
こちらは<神楽殿>かな。(。´・ω・)?
階段のスタート地点にある<鳥居>。
鳥居をくぐって階段を少し登った右側にある<手水舎>。
参道をどんどん登って行く。
参道左側に現れる<祓所>。
参道右側の<開山性空上人>の石碑。
階段を登り切ったところにある<神門>。
<神門>正面。
神門をくぐって、参道右側にある<授与所>。御朱印はこちら。
授与所前から社殿方向を望む。
参道左側の境内社。
参道進んで左側の門守社。
右側の門守社。
いよいよ階段を登って社殿に向かう。
<拝殿>全景。朱色の塗装がパリッとした美しい拝殿。
<拝殿>正面。扁額には「東霧島山」と書いてあるのかな。(。´・ω・)?
拝殿から振り返って境内全景。高木に包まれた神聖な空気感がいい~♪(o^―^o)
拝殿後ろの<本殿>。左側はその脇社。
拝殿の左側には祈願者昇殿口がある。
本殿の右側にも脇社がある。
鳥居近くにある境内社を見て廻る。こちらは一番低い所にある境内社。
少し高いところにある境内社。
3社の中では最も高いところにある境内社。忍穂井の社かな。
最後に、境内入口の谷側に見える景色。霧島山東麓の<御池>が見える。(^▽^)/
歴史
霧島山を信仰の対象とする山岳信仰の神社として、第10代崇神天皇の御代に創建。天台宗の性空上人が4年間霧島山に修行しながら、6ヵ所の神社の傍らに寺院建立。明治時代霧島東神社と改称、昭和9年、県社に昇格。
名称 | 霧島東神社 |
---|---|
通称 | お東さん |
トイレ | 社務所隣に、男女別れて有ります |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》伊弉諾尊,伊弉冉尊,《配》天照大神,瓊瓊杵尊,天忍穂耳尊,彦大大出見尊,草葺不合尊,神日本磐余彦尊 |
---|---|
ご神体 | 霧島山 |
創建時代 | 第10代崇神天皇 |
創始者 | 性空上人 |
本殿 | 権現造の社殿 |
ご由緒 | 霧島山を信仰の対象とする山岳信仰の神社として、第10代崇神天皇の御代に創建。天台宗の性空上人が4年間霧島山に修行しながら、6ヵ所の神社の傍らに寺院建立。明治時代霧島東神社と改称、昭和9年、県社に昇格。 |
体験 | おみくじ御朱印お守り |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
霧島東神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
1
0