かれきじんじゃ
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枯木神社について
枯木に触れると祟られる枯木神社
その昔、尾崎海岸に漂着した5尺(約1.5m)ほどの枯れ木を薪にしようと、触れた者たちが病になったそうです。村の古老は村人に「源義経の愛妾、静御前が植えた霊木であり、おそらく台風によって流され、この地に漂着したのだろう」と語りました。村人はこの枯れ木をご神体として、社を建てました。現在でも枯れ木は白布で包まれ、ご神体として奉納されています。
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【過去の参拝記録】
枯木神社
主祭神 天児屋根命
アメノコヤネノミコト
例祭日 7月土用の丑の日
御由緒
往古、一つの枯木漂いて尾崎枯木浜に着く。浦人持ち帰えらんとするが、五体脳乱して手を触るること出来ず、突き流し去ったが、また元の所に漂着すること三度。この地に有縁の霊木であるとして、之を祭祀。
日本書紀より
「推古三年夏四月、沈水、漂着於淡路嶋、其大一圍。嶋人、不知沈水、以交薪焼於竈。其烟氣遠薫、則異以献之。」(沈水とは、香木の沈香のこと)
現代風に訳すと、「推古天皇3年(西暦595年)の夏4月、ひと囲いほどの香木(沈香)が淡路島に漂着した。島民は沈香を知らず、薪と共に竈(かまど)で焼いた。するとその煙は遠くまで類い希なる良い薫りを漂わせた。そこで、これは不思議だと思い朝廷に献上した。」
このように、日本書紀に日本最初の香木伝承地として淡路島が記載されています。
また、このことを裏付けるかのように、淡路島の歴史書「淡国通記」にも淡路島の南岸に香木が漂着したことが記されています。
推古天皇の時代と言えば、まさに聖徳太子が摂政として活躍した時代です。
「聖徳太子伝略」という文献などによると、聖徳太子は朝廷に献上されたそれをすぐに香木だと見抜き、その香木で手箱と観音像を作った、とされています。
香木伝来伝承地として、淡路島の枯木神社では人の体の大きさぐらいある香木(枯木)をご神体として祀っています。
また、この枯木神社は、淡路島と縁の深い静御前がよく参拝したと伝えられます。
淡路島の北から南へ、淡路島西側の海岸線に沿った県道31号線を走るドライブコースを「淡路サンセットライン」といいます。
「淡路サンセットライン」という名の通り、夕方にこの道を走ると瀬戸内海に沈む夕日を見ることが出来ます。
淡路サンセットが見たいばかりに、夕方になり御朱印が頂けませんでした。
リベンジします。
淡路市尾崎220
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