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えじますぎやまじんじゃ

江島杉山神社
東京都 両国駅

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えぶ
えぶ
2026年06月15日(月)715投稿

例祭に行くと、お囃子が聞こえて来て太鼓が境内に入って来ました♪
水が流れる音が爽やかな境内で、癒される空気感です。
神奈川県藤沢市の江島神社の弁財天と、杉山和一という盲目の鍼灸師が合祀されています。
由緒がいい。
なるべく要約すると、
幼少期に病によって失明した杉山さんは鍼術を志すことに決め、
江ノ島の弁天岩屋に籠もり、断食修行で偶然により発案した細い鍼を管に入れて打つ「管鍼術」を始めた。
評判を聞いて杉山さんを召し抱えた将軍・徳川綱吉が欲しいものを問うと、
杉山さんは「ただ一つ目が欲しい」と答えたため、本所一ツ目に土地を与え、また
江ノ島弁財天を当地に勧請して祀ることを許し、建立されたこの神社は、
「本所一ツ目弁天社」として江戸庶民の信仰を集めたと。
杉山さんの人望と貢献が多大で、庶民も尊敬し崇拝する偉大な方だったんですね。
素晴らしい😀
しかも、「一ツ目」が欲しい、へのアンサーが、本当の目は不可能なので、地名が本所一ツ目の土地を与えたこと。
杉山さんが修行した江島神社を勧請したこと。
修行した岩屋を模して設置されていること。
鍼灸の技術向上と、視覚障害者への職業を開拓したこと。
社務所は杉山鍼按治療所が併設され、鍼灸あん摩博物館も隣接してること。
杉山さんの影響は神社と地域の歴史に深く刻まれていますね。
印象に残る、良い神社に巡り会えてありがたい事です😊

江島杉山神社(東京都)

昔の社名ですね

江島杉山神社(東京都)
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歴史

当社は神奈川県藤沢市江島神社の弁財天を奉斎し、またその弁財天を深く信仰した杉山和一を併せ祀る。
杉山和一(慶長十五年<1610>年~元禄七年<1694>年)は三重県津市の武家の生まれで幼い頃失明し、身を立てるために鍼術を志す。
江戸の山瀬琢一に入門し修行に励む中、江島弁財天の岩屋にて七日七夜の参籠をした。
業が明けた日外に出ると大きな石に躓いてしまうが何か手に刺さる物があり探ってみると、筒の様にくるまった枯葉(スダジイ)の中に一本の松葉が入っていた。
「いくら細い鍼でも管に入れて使えば盲人の私にも容易く打つ事が出来る」
こうして、現在鍼治療の主流である管鍼術が生まれた。躓いた石は「福石」として、本社江島神社の境内に祀られている。この後より深く鍼治を学ぶため京都の入江豊明の元へ入門する。そして江戸で治療所を開くと、その噂は瞬く間に広がった。同時に多くの弟子を輩出し、世界初の盲人教育の場、職業の確立を進めた。寛文十(1670)年一月、和一は61歳にして検校の位を受けた。その名声により五代将軍徳川綱吉の医師として務めるようになる。
元禄五(1692)年五月九日将軍より総検校に任ぜられる。和一が八三歳の時、綱吉公の難病を治療した功により「何か望みのものはないか」との問いに「唯一つ、目が欲しゅうございます」と答え、ここ本所一ツ目に総録屋敷の領地を賜り更に和一が高齢になっても月参りを欠かさなかった江ノ島弁財天が敷地内に勧請されてた。翌年には壮麗な社殿が建立、本所一ツ目弁天社と呼ばれ江戸名所となり、多くの信仰を集めた。元禄七(1694)年五月十八日八四歳没。明治四年、当道座組織が廃止され総録屋敷も没収されるが、当社は綱吉公が古跡並の扱いとしたため残され、社名も江島神社となる。
明治23年四月杉山和一霊牌所即明庵も再興し、境内に杉山神社を創祀、震災、戦災により二つの社殿とも焼失するが戦後昭和27年合祀し、島江島杉山神社となる。

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江島杉山神社の情報

住所東京都墨田区千歳1丁目8−2
行き方

・JR「両国駅」西口より徒歩7分
・都営大江戸線「両国駅」A4出口より徒歩12分
・都営新宿線「森下駅」A5出口より徒歩12分
・区内循環バス すみだ百景すみまるくん・すみりんちゃん「江島杉山神社入口」下車 徒歩3分

江島杉山神社の基本情報

名称江島杉山神社
読み方えじますぎやまじんじゃ
通称本所一ツ目弁才天
トイレなし
御朱印あり
限定御朱印あり
電話番号03-3863-1308

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://ejimasugiyama.tokyo/
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神市杵島比売命
創建時代元禄六年(1693)
ご由緒

当社は神奈川県藤沢市江島神社の弁財天を奉斎し、またその弁財天を深く信仰した杉山和一を併せ祀る。
杉山和一(慶長十五年<1610>年~元禄七年<1694>年)は三重県津市の武家の生まれで幼い頃失明し、身を立てるために鍼術を志す。
江戸の山瀬琢一に入門し修行に励む中、江島弁財天の岩屋にて七日七夜の参籠をした。
業が明けた日外に出ると大きな石に躓いてしまうが何か手に刺さる物があり探ってみると、筒の様にくるまった枯葉(スダジイ)の中に一本の松葉が入っていた。
「いくら細い鍼でも管に入れて使えば盲人の私にも容易く打つ事が出来る」
こうして、現在鍼治療の主流である管鍼術が生まれた。躓いた石は「福石」として、本社江島神社の境内に祀られている。この後より深く鍼治を学ぶため京都の入江豊明の元へ入門する。そして江戸で治療所を開くと、その噂は瞬く間に広がった。同時に多くの弟子を輩出し、世界初の盲人教育の場、職業の確立を進めた。寛文十(1670)年一月、和一は61歳にして検校の位を受けた。その名声により五代将軍徳川綱吉の医師として務めるようになる。
元禄五(1692)年五月九日将軍より総検校に任ぜられる。和一が八三歳の時、綱吉公の難病を治療した功により「何か望みのものはないか」との問いに「唯一つ、目が欲しゅうございます」と答え、ここ本所一ツ目に総録屋敷の領地を賜り更に和一が高齢になっても月参りを欠かさなかった江ノ島弁財天が敷地内に勧請されてた。翌年には壮麗な社殿が建立、本所一ツ目弁天社と呼ばれ江戸名所となり、多くの信仰を集めた。元禄七(1694)年五月十八日八四歳没。明治四年、当道座組織が廃止され総録屋敷も没収されるが、当社は綱吉公が古跡並の扱いとしたため残され、社名も江島神社となる。
明治23年四月杉山和一霊牌所即明庵も再興し、境内に杉山神社を創祀、震災、戦災により二つの社殿とも焼失するが戦後昭和27年合祀し、島江島杉山神社となる。

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