いふくべじんじゃ
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伊福部神社 (いふくべ)
主祭神 素盞鳴尊
配祀神 天香山命
伊福部宿祢命
社格等 式内社(小社)
旧郷社
延喜式神名帳
(大生部兵主神社)
創立年 不詳
例祭日 10月15日
伊福部神社御由緒
当社は素盞嗚命、天香山命、伊福部宿弥命を奉祀す。創立年度不詳なれど天平19年伊福部連其祖天香山命を祀ると。又成務天皇4年2月國造船穂足尼素盞嗚命を祀る大生部兵主神社を弘原庄中村に鎮座し之を大生部神社と崇めた。「日本書紀」天正4年出石領主山名家より田畑三町歩の黒印を受く。又江戸時代氏子より田の寄進あり石高十石を有すも天保4年社殿炎上安政2年本殿再建にあたり出石藩主仙石讃岐守より寄進あり現在の社殿が造営された。
社頭掲示板
出石川の支流の奥山川沿いに鎮座し、近くには鍛冶屋という大字があります。
樹齢1000年といわれる御神木の杉の木が拝殿前にそそり立ちます。
境内中央には、入母屋造瓦葺の拝殿があり、
その後方に、銅板葺入母屋造の立派な本殿があります。
伊福部連が祖神である天香山命を祀った神社です。
また、天日槍命の現御身を弘原の榎見の五師という地に隠し祀ったことにより五師宮とも称し、後に伊福部の地に遷し祀られました。
この天日槍命の現御身を祀る伝承からか、伊福部との名前の近似からか当社は、式内社・大生部兵主神社の論社となっています。
拝殿の由緒書きには、成務天皇四年二月、国造 船穂足尼が素盞嗚尊を祀り現在の主祭神は、素盞嗚尊となっています。
江戸時代田畑の寄進があり高十石を有していましたが天保十年十二月社殿が炎上。
安政二年、本殿を造営。
明治六年十月村社に列し、大正十年三月郷社に昇格しました。
例祭は10月15日。諸杉神社と石部神社とともに、「だんじり祭り」と称して約20台のだんじりをして出石城前でぶつけ合う喧嘩祭りが行われます。
祭記事
摂社の愛宕神社が山腹に座し、毎年8月24日に近い日曜日に「愛宕の火祭」が行われます。
麦束に火をつけ、振り回して厄除、無病息災を願います。
境内社
愛宕神社(愛宕大権現)
福徳稲荷神社
天満神社
観世音菩薩
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船穂足尼
郡内の「始祖で、開化天皇~彦坐主王~若筒木王~船穂足尼(但馬国造)」と言われ、子孫には日下氏、日下部氏、朝倉氏(越前朝倉氏の粗)などがあります。これは九条家の文庫から発見された「粟鹿大明神元記」に記されたもので708年に作られたものとされています。
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天保4年の火災を機に、火防の神として有名な、京都愛宕神社(右京区・標高924m)の御分霊を勧請、現在に伝わる境内社の愛宕神社です。明治末まで愛宕講が組織され、年々の祭典も盛大だったそうです。 現在、8月24日に近い日曜日に愛宕神社の例祭が行われます。
境内社 愛宕神社までは時間的に厳しく
リベンジ確定となりました。
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斉藤隆夫(政治家・弁護士)記念館
吾言即是万人声
(吾が言 即ち是れ万人の声)
褒貶毀誉委世評
(褒貶毀誉は世評に委ねん)
豊岡市出石町中村809
拝殿
伊福部神社御由緒書
御神木
本殿
福徳稲荷神社
愛宕神社へ
280段
愛宕神社 リベンジ確定
m(_ _)m
愛宕神社 御由緒書
絵馬
静思堂
斉藤隆夫記念館へ
参拝者は少なかったです。甘酒の接待されてました。素晴らしい絵がありましたよ😆御朱印を直書きで頂きました😃御守りなどもありました。雪で近くの駐車場が除雪されていないので注意して下さい。
直書きの御朱印です。
鳥居と社殿です。
手水舎。
誰が書いたかわかりませんが、上手に書かれていました😉
甘酒の接待してました。
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