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近江国伊香郡の式内社です。石作神社、玉作神社ともに式内社として書かれており、社名からその地方に石の職人、装飾品の職人たちが住んでいたことが窺えますね。

《一の鳥居》
めっちゃ雪降ってました。滋賀はほんとに場所によって気候が違うなぁ。

《社号碑》
珍しく両社の神社名が、連名ではなく別の面で書かれています。
ちなみに○部という名字はもともと職人の一族が名乗る名字で、こういう技術集団を「部曲」といいます。
境内・文化財
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創祀の年代悠遠にして詳かでないが石作神社の祭神天火明命は、石作連の祖神であって、往昔石作郷と称し、延喜式神名帳伊香郡46座の内に石作神社の鎮座を見る。現在水田の中に石作と称する1小丘あり、古来より浄地として犯す者なく、若し之を犯さば忽ち神罰を蒙るという。蓋しこれ徃古の当社の旧址なるか、或は上古石作連の首長の墳丘なるか明かならざれども、当社とは不可分の地点なり。玉作神社も延喜式神名帳にみる古社である玉租神を以って祭神となす。古事記天孫降臨の段に、玉祖命は、玉租連の祖先なりと記し、日本紀には玉屋命と記されている。玉作氏鎮座の地方は古代に於いて高度な文化的なものを把持した特区である。玉作又石作の部曲は、上代文化の地方伝播の前衛なりしというべきであろう。されば本郡に於て、玉作、石作の神社を此の地に見る事は、本郡の上代文化の中心地が何地にありしもを示すものというべく、経済上の、はた人文上の発祥地帯と目すべきものである。所詮当神社の地理的位置は、古代開明の基本点たりしというべく、それが中世以降の戦禍に災されて、本社の社運を幾度か傾けたが、その都度再建、再興が試みられて今日に至ったものである。明治9年村社に列し、明治18年に郷社に、大正11年県社に昇格した。
石作神社玉作神社の情報
| 住所 | 滋賀県長浜市木之本町千田793 |
|---|---|
| 行き方 |
石作神社玉作神社の基本情報
| 名称 | 石作神社玉作神社 |
|---|---|
| 読み方 | いしつくりじんじゃたまつくりじんじゃ |
| 参拝時間 | 参拝自由 |
| 参拝にかかる時間 | 約5分 |
| 参拝料 | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 天火明命(石作神社) 玉祖命(玉作神社) |
|---|---|
| 本殿 | 一間社流造 |
| ご由緒 | 創祀の年代悠遠にして詳かでないが石作神社の祭神天火明命は、石作連の祖神であって、往昔石作郷と称し、延喜式神名帳伊香郡46座の内に石作神社の鎮座を見る。現在水田の中に石作と称する1小丘あり、古来より浄地として犯す者なく、若し之を犯さば忽ち神罰を蒙るという。蓋しこれ徃古の当社の旧址なるか、或は上古石作連の首長の墳丘なるか明かならざれども、当社とは不可分の地点なり。玉作神社も延喜式神名帳にみる古社である玉租神を以って祭神となす。古事記天孫降臨の段に、玉祖命は、玉租連の祖先なりと記し、日本紀には玉屋命と記されている。玉作氏鎮座の地方は古代に於いて高度な文化的なものを把持した特区である。玉作又石作の部曲は、上代文化の地方伝播の前衛なりしというべきであろう。されば本郡に於て、玉作、石作の神社を此の地に見る事は、本郡の上代文化の中心地が何地にありしもを示すものというべく、経済上の、はた人文上の発祥地帯と目すべきものである。所詮当神社の地理的位置は、古代開明の基本点たりしというべく、それが中世以降の戦禍に災されて、本社の社運を幾度か傾けたが、その都度再建、再興が試みられて今日に至ったものである。明治9年村社に列し、明治18年に郷社に、大正11年県社に昇格した。 |
| 体験 |
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