あわじんじゃ
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この度、初めてお詣りさせていただきました。
前の道は、よく通るのですが、
なかなか訪ねる機会がなかったのですが、
今回、やっとお詣りができました。
とても神秘的で、立派なお社でした。
![きどっち](https://minimized.hotokami.jp/a1QLesNXHNgmUxv-rGbGfVSd9BUMAjXlLrsWMBmOxik/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20210304-013216_lnNjeEzpzq.jpg@webp)
幻の官幣大社と言われる阿波神社に参拝させていただきました。
四国八十八ヶ所霊場巡りでこの辺りを調べていたときに阿波神社のことを知り、とても気になっていたので今回参拝できてとてもよかったです。
なぜ「幻の官幣大社」なのか?ですが、
昭和15年、紀元2600年記念事業として現在地に新たな社殿の造営計画がなされ、昭和18年10月にとても立派な社殿が完成。
11月には県議会より奏上書を提出し、官幣大社への昇格が内定していたそうですが、終戦とともに神社の社格廃止となり、実現できなかったとのことです。
この日は社務所はお留守だったようで御朱印をいただくことはできませんでした。
しかし、とても落ち着いた雰囲気と、荘厳な社殿に圧倒されて、私自身がなぜこちらの神社が気になり参拝したいと思ったのか納得しました。
<御祭神>
土御門天皇
<御由緒>~阿波神社パンフレットより~
阿波神社は、第83代土御門天皇を御祭神として奉祀致しております。
土御門天皇は第82代後鳥羽天皇の第一皇子(御諱為火仁親王)として、建久6年(1195年)12月2日に御誕生、同9年3月3日4歳で御即位、元久2年(1205年)1月3日11歳で元服されました。
承元4年(1210年)11月25日、16歳のとき、後鳥羽上皇の御意志により、御在位13年で、第三皇子守成親王(第84代順徳天皇)に御譲位されました。
承久の乱(承久3年)により後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳条項は佐渡へ流されたため、土御門上皇のみ都にとどまることを由とせず、自ら御希望により同年10月土佐の畑にご遷幸されました。
土佐にご在留中北条氏は度々御帰京をすすめられましたが応じられないため、せめて少しでも京都に近い所として、貞応2年(1223年)5月27日土佐ご駐留約1年半後阿波にご遷幸、約9年間御滞在されましたが、寛喜3年(1231年)10月11日、37歳で当地におきまして崩御され、御火葬されました。
上皇は大変温和であり、御情が深く、争いごとは好まれず、人の喜び、悲しみ等はよく理解されるご性格でありました。
また、和歌には造詣が深く、藤原家隆や定家を師と仰ぎ、その歌風は琉麗な新古今風であり、家隆の歌調であると云われております。
駐車場は鳥居をくぐり左手にあります
参道を進むと開けたところに赤い神門が見えてきます。
手水は自ら蛇口をひねって・・・
神門
この時点でとても身が引き締まります
社殿
余計なものは一切なく、それでいてとても荘厳な佇まいです
本殿
![to_sun](https://minimized.hotokami.jp/AdlJDZH76FnKyXjF69NmCwA72YcoTaw3CDcIXwmHgK8/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20220127-125632_c9Mskhr8LG.jpg@webp)
【阿波神社(あわじんじゃ)】
阿波神社は、徳島県鳴門市大麻町池谷に鎮座します。阿波神社の御祭神は第83代 土御門天皇(在位:1198-1210)で、第82代 後鳥羽天皇(在位:1183-1198)の第一皇子です。4歳で即位し16歳のときに後鳥羽上皇の意向により異母弟の第83代 順徳天皇(在位:1210-1221)に譲位しました。1221(承久3)年、承久の乱によって後鳥羽上皇が隠岐へ、弟の順徳天皇が佐渡へ流罪となりました。土御門上皇は倒幕計画に関与していませんでしたが、京都にとどまることを忍びないと、自ら申し出て土佐国に流され、後に、より都に近い阿波国に移っています。阿波に御遷幸の後、1231(寛喜3)年に37歳の若さで崩御されました。
阿波神社の前身は土御門天皇火葬塚の北に作られた土御門天皇社で、当時は「天皇さん」と呼ばれていました。1875(明治8)年に「丸山神社」に改称され、紀元2600年事業として1943(昭和18)年に阿波神社として現在の社殿が作られています。
-祭神ー
①土御門天皇(つちみかどてんのう)…後鳥羽天皇の第一皇子。
【鳥居】
【社号標】
【神門】
【手水舎】
【拝殿】
【内殿】
【拝殿から見る神門】
【拝殿】
【本殿】
【奉納酒樽】
【土御門天皇火葬塚】
【阿波神社のおサルさん】
社殿の背後の山からおサルの一家がやってきました。
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