あわがじんじゃ
粟鹿神社兵庫県 梁瀬駅
09:00〜16:00(不在時あり、事前連絡尚可)
神社向かいに御朱印の置書きがありますが直書きをお願いしました。
インターホンでは男性、受渡しは女性の対応でした。
とても良い対応をしてくれました。
最後は、兵庫県朝来市山東町粟鹿に御鎮座する但馬国一宮の粟鹿神社に参拝に行って来ました。この神社はひっそりと静かでした。境内は雨上がりだったのでぬかるんでいました。ぬかるんだところに苔もあり滑りそうな所もありました。拝殿にてお詣りをしてから、末社などもお詣りをしました。その時に冷たい心地良い風が吹いて来ました。粟鹿神社の神様に歓迎されているのかなと思いました。
御朱印は隣の宮司さん宅の玄関の右側に白い箱があり、その中に御朱印がありましたので、御朱印料を入れて拝受して来ました。玄関脇には現在は御朱印の受け付けはしておりませんと書いた紙が貼ってありました。
いつしか直接記帳して頂ける日が来ますように。
境内はひっそりとしてました。
石標
勅使門由緒書き
勅使門
随神門内側に鎮座する狛犬についての由緒書き
木製の狛犬
木製の狛犬
隋神門
狛犬
狛犬
拝殿
厳島神社
床裏神社と御祭神
床裏神社
稲荷神社。御祭神草野姫命
稲荷神社
稲荷神社。御祭神は保食神
稲荷神社の赤い鳥居
稲荷神社
猿田彦神社。
猿田彦神社
天満宮。御祭神は菅原道真公
天満宮
手水社
幹回り6mの御神木
景行天皇の御代、熊襲を征し給ひし時、勅して社殿を造営される。
天武天皇の四年、大早百姓飢ゆ、朝使清原冬満至自、本祠域一丁五段草萊の地を開き天神地祇。祭り祈念す、後五穀豊穣。
清和天皇の貞観十六年、勅使倭朝臣兼直至自、天下疫癘の治まることを祈願。
後宇多天皇の弘安四年、蒙古九州に寇す。因て我社に勅使卜部兼直卿を遣し、祈願し給ふ時に神徳顕るるを以って神階を進め、宸翰の額を納め給ひ、祭田を賜る。
住所 | 兵庫県朝来市山東町粟鹿2152 |
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行き方 | JR山陰本線「梁瀬駅」から徒歩54分
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名称 | 粟鹿神社 |
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読み方 | あわがじんじゃ |
参拝時間 | 09:00〜16:00(不在時あり、事前連絡尚可) |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 079-676-2465 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
日本全国の一宮まとめ |
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ご祭神 | 〈主〉天美佐利命,日子坐王命,日子穂穂手見命 〈配〉阿波奈岐尊,伊奘奈岐尊,天照大日孁尊,籠神,鵜草葺不合尊,月讀尊,素盞嗚尊,豊玉姫尊 |
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本殿 | 流造 |
文化財 | 市有形文化財
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ご由緒 | 景行天皇の御代、熊襲を征し給ひし時、勅して社殿を造営される。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬御朱印お守り一の宮 |
概要 | 粟鹿神社(あわがじんじゃ)は、兵庫県朝来市山東町粟鹿にある神社。式内社(名神大社)、但馬国一宮または二宮。旧社格は県社。神紋は「抱き茗荷」。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 創建について『粟鹿大明神元記』では、第11代垂仁天皇の時代に、天美佐利命が荒振る神であるために大彦速命が朝廷に申し出て祀ることとなり、大彦速命の曾孫が「神部直」の氏姓を賜って但馬国造に定められたとする[1]。 概史[編集] 古代[編集] 但馬主要3神の神階[2] 年 出石神 粟鹿神 養父神 845年 無位→従五位下 無位→従五位下 無位→従五位下 868年 従五位上→正五位下 従五位上→正五位下 869年 従五位上→正五位下 874年 正五位下→正五位上 正五位下→正五位上 正五位下→正五位上 神名帳 名神大8座 名神大1...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 歳旦祭(1月1日) 節分祭(節分の日) 当神祭(2月11日) 祈年祭(旧暦2月4日) 早祓祭(7月15日) 秋季例大祭(10月17日) 大祓・除夜祭(12月31日) |
引用元情報 | 「粟鹿神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%B2%9F%E9%B9%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98243961 |
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