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有明山神社のお参りの記録一覧
長野県 有明駅

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てけてけ
てけてけ
2024年01月22日(月)549投稿

有明山のふもとに静かに鎮座し、野生の猿も見かけます。有明山を御神体とする山岳信仰の神社であり、登山の無事を祈願しに来る人達が多いと聞きます。
入口にある日光東照宮の陽明門を模したと言われている「裕明門」なる山門の彫刻と天井絵が見事です。

また、隣には、「くるまや」という人気の蕎麦店があります。ざる蕎麦1人前650円で、きちがいざる(5人前)なるものもあり、グループでシェアして楽しまれています。

有明山神社は長野県安曇野市穂高有明宮城に鎮座し背後に聳える有明山を御神体とする神社です。有明山(標高:2268m)は山容の美しさから信濃富士の別称があり、中腹から山頂にかけては奇岩怪石が複数点在し、水源地の一つにもなっていた事から古代から現在に至るまで霊山として信仰の対象となりました。当初は素朴な自然崇拝だったようで、麓に点在する村々には「拝み」と呼ばれる遥拝所が設けられました。年代は不詳ですが、戸隠神社(長野県長野市)の影響を受け、有明山は天岩戸(※1)に御隠れになった天照大神の岩戸を手力雄命が開け投げ飛ばしたところ天下が明るくなり山になったとの伝説が流布され、社伝では孝元天皇5年(紀元前210年)に戸放権現を勧請し、社殿が造営され後に有明山神社と呼ばれるようになったと伝えられています。
延暦24年(805)、安曇郡に巣くい悪事を繰り返した八面大王(魏石鬼)(※2)を掃討する為当地に派遣された坂上田村麻呂が戦勝祈願を行い、見事念願成就した事から、八面大王を討った宝刀が納められたと伝えられています。一方、江戸時代中期の享保9年(1724)に松本藩の藩主の命により編纂された領内の歴史・地理を纏めた「信府統記」によると平安時代初期の大同2年(807)に征夷大将軍である坂上田村麻呂が八面大王を成敗する為に当地まで進軍した際、有明山神社に武運長久を祈願し宝剣を奉納した事が記されています。有明山の山中には魏石鬼岩窟があり、案内板によると「 魏石鬼八面大王という鬼がたてこもったと伝えられる。この岩は巨大な花崗岩で組立てられた穂高町有数の古墳(横穴式石室)である。考古学者鳥居瀧蔵博士は全国的に珍しい古墳であると推奨した。 長野県・穂高町」とあります(筑摩神社には八面大王の首塚があります)。

有明山は歌枕の地としても知られ、西行法師(平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人)は「信濃なる有明山を西に見て 心細野の道を行くなり」、藤原定家(鎌倉時代初期の公家・歌人、小倉百人一首の撰者)は「てりかはる紅葉をみねの光にて まつ月細き有明の山」、後鳥羽院(第82代天皇)は「かたしきの衣手寒く時雨つつ 有明の山にかかるむら雲」などが詠まれています。中世に入ると領主である仁科家の祈願所として庇護され建保3年(1215)には後鳥羽上皇によって歌われた「かたしきの衣手寒く時雨つつ有明の山にかかるむら雲」が仁科盛遠を通して奉納されています。

有明山神社(長野県)

正面に見える建物は、お蕎麦屋「くるまや」で神社は建物から左に曲がります。

有明山神社(長野県)
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