あきとみじんじゃ
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飽富神社(あきとみ~)は、千葉県袖ケ浦市にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は倉稲魂命(うかのみたま)、神八井耳命(かんやいみみ)、天富命(あめのとみ)、配祀神は大己貴命と少彦名命。
社伝によると、綏靖天皇元年(紀元前581年)に天皇の兄神である八井耳命による創建。
国史の初見は『日本三代実録』で884年に「飯富神」の神階奉授の記載があり、927年に編纂された『延喜式神名帳』では、「上総国 望陀郡 飫富神社 小」と記載されている。(「飯富神」と「飫富神」の違いは不明。当地の現地名は袖ヶ浦市飯富。)明治時代の近代社格制度では県社に列した。
当社は、JR内房線・袖ケ浦駅の東南東3kmの丘陵地の森の中にある。境内入口が、細い林道沿いにあり、境内の境界ははっきりしないものの、あまり広くはなく、旧県社といった感じは全くしない。明治期に合祀したと思しき神社がかなりたくさんあるようで、この点からのみ旧県社であることが感じられる。前年の房総を襲った台風の影響で、壊れたままの境内社がいくつか存在していた。
今回は、上総国の式内社、千葉県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は週末の夕方で、自分以外には参拝者はいなかった。
★当社参拝により、上総国の式内社・全5社の参拝をコンプリート。嬉しい~♪ o(`・ω´・+o)
境内南端の入口に建つ<鳥居>。社号標は、ないみたい。
青銅製の鳥居には、<飽富神社>と書かれた扁額が掛かる。
鳥居をくぐって、前方の社殿を望む。境内は樹木が少なめで、その分明るく、さっぱりとした印象。
参道右側の<手水舎>。意外としっかりしていて、彫刻など手抜かりがない。後ろの<燈籠>では、小狛犬が遊んでいるのかな?
<拝殿>遠景。参道両側の<狛犬>は、大きくどっしりしたタイプ。
<拝殿>全景。正面の柱と軒、彫刻に色彩が施されている。そういえば、時間はもう16時を回っているが、無人社でもちゃんと拝殿の扉が解放されている。嬉しい~♪
拝殿正面の<飽富神社>の扁額。その奥にも一回り大きな<飽富神社>の扁額が見える。
参道左手(境内西側)の社務所(左)と、なにか赤い建物(右)。青いシートが掛かっているのは、たぶん2019年の台風による被害。
社殿の左手(境内西側)の石祠群。数えると15基ほどある。
<社殿>全景。拝殿後ろの<本殿>も大きなサイズ。
社殿の左手奥(境内西側)の境内社群。写真左の境内社は表札なし、中央の境内社は表札があるが読めず、右の境内社は紙垂の数から<十五社>。
社殿の左手奥(境内北側)の<十六社>。
十六社の右側にある<八社>。
八社の右側にある<八社>。明治時代に、こんなにたくさんの周辺神社を合祀したのかな?
社殿の右手奥(境内北側)の<東照宮>。当社で一番大きく立派な境内社で、美しい彫刻が魅力とのことだが、こちらも台風被害でブルーシートがかかっている。ちょっとかわいそう...
社殿の右手側面から見た<社殿>全景。拝殿、幣殿、本殿一体型で、バランスの良い造形。本殿の屋根が拝殿の屋根よりわずかに高くなっている。
社殿の右手(境内東側)の境内社。たぶん<二十七社>?
二十七社(仮称)の右隣にある境内社。ここまでの境内社の数を合計すると、なんと93社。こんなの、見たことない...(^_^;)
その隣にある、たぶん<神輿庫>。
明治時代は県社ということで、相当な地位にあったはずだが、現在の環境は少し寂しいかも。
鳥居の前の道は細道で、交通は全くなし。写真手前側は森。近隣に家一軒どころか、そもそも建物一つない。
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