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妙国寺のお参りの記録一覧
大阪府 妙国寺前駅

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2017年09月03日(日)222投稿

 阪堺電車で花田口まで乗り、そこから歩き、もうひとつの堺事件スポット・妙国寺へ。双方の銃撃戦でフランス人たちを多数殺害してしまった土佐藩士ら。事件翌日の早朝、京都にいた山内容堂は、すぐさま同地に滞在していたイギリス公使館員ミットフォードへ、藩士の処罰をフランス側に伝えるよう依頼している。 当時は戊辰戦争のため政府軍主力は関東におり、逆に各国公使と軍艦は神戸事件との絡みで和泉国・摂津国の間にあったため、交渉がこじれ戦端が開かれた場合大いに不利になることが予想された。容堂の判断は、早期に事件を収拾するとともに、まだ脆弱な基盤しか持たない明治政府を守ることにつながる。しかし、自身の国である土佐の人間を守ることや、名誉を保つことは考えなかったようだ。
 ミットフォードは夕方に大阪へ到着し、やがてフランス公使ロッシュにこの伝言は届く。各国公使との協議の末、抗議書を明治政府に提出している。
このため、賠償金15万ドルの支払いと殺害にかかわった者全員の処刑という条件を、明治政府はのむほかなかった。

 のちに岩倉具視らの嘆願でフランス側も折れ、当初29名だったものを20名にすることに成功する。この人選はくじ引きで決められていて、その場所は現在の西長堀の土佐稲荷だったと伝わる。そしてここ堺の妙国寺で、土佐藩士20人の刑の執行が切腹という形で行われた。
 
 だが藩士らは自らの腸を掴み出し、居並ぶフランス人乗組員らを恫喝。目の前で展開されるあまりにも残酷極まりない地獄絵図に彼らは青ざめ、結局デュプレクス艦長で立会人でもあったアベル・デュプティ=トゥアールが、殺された乗組員と同じ11人の藩士が死んだ時点で、傍らにいた五代友厚に刑の執行停止を要請する。このニュースは世界に広まり、サムライ=日本人は野蛮である、という外国人の認識として長く残ることになったのではないかと思ったりする。ハラキリが国際語になったり、のちの黄禍論の蔓延などを見るにつけ、この事件も影響は少なからずあったのではないかと想像したりもする。
 
 なお、射殺されたフランス人乗組員らは神戸の市立外国人墓地に、切腹した藩士らは妙国寺向かいの宝珠院に葬られている。現在は幼稚園の中にあり、残念ながら見学できなかった。また死を免れた9人の藩士らは、土佐の渡川(四万十川)以西の入田へ配流となっている。

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